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2023.11.02

ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか 理想郷譚プロトタイプ
第42話
冒険の意味を①

「オッタル。あの子、また強くなったわ」

「重畳、ですか」

「ええ」


薄暗い室内。夜闇が部屋の奥まではびこっている。
テーブルの上の魔石灯が蝋燭のようにほのかに揺れる中、フレイヤは静かに口端を上げた。
バベル最上階、神の殿居。
調度品の数は少ない。一級のスイートルームを彷彿させる広い室内に似合わないほど飾り気はないが、代わりに品のどれを取っても豪奢に過ぎていた。同時に部屋の内装と品よくあしらえてもある。
巨大な本棚に常識では考えられないほど大きなベッド、暗赤色でシックな絨毯。壁には境を挟んだ太陽と月の絵画がかけられている。
どれも売りに出せば、冒険者の装備が一通り揃えられそうなほど意匠が凝らされていた。
ワイングラスを手に取りながら、銀髪の女神は従者と一つの話題に興じていた。


「見違えたわ。【ステイタス】がどうこうじゃないの。魔法という切っかけを一つ手に入れただけで、あの子の輝きは一層鮮やかになった……私の目には器が洗練されたように見える」


広い一室へ冷たく差し込む月明かりにグラスをかざし、ゆらゆらと光が反射する水面に視線を馳せる。
照らされる若い白ワインには色の深みはない。勿論味わいも。
しかしフレイヤは、その透いた色こそ何事にも代えがたいと思っているかのように、己の瞳を笑みの形に細め、グラスに口付けた。


「器の発展……進境が著しいと?」

「そういうことになるかしら」


部屋の隅で顔色を変えることのないオッタルと、短く受け答えをする。
直立不動の姿勢で主神を見つめる従者は静かだった。
彼の瞳に見守られながら、おもむろにフレイヤはそろりと瞼を半分下ろす。


「でも、一つだけ……一つだけ、輝きを邪魔する淀みがある。まるで枷のようにあの子を縛っているわ」

「……」

「そうね、十分に足る器はある。けれど、芯が足りない。いえ芯そのものはある、でもそれが曇って見える……何かが欠けているのか、何かが邪魔しているのか」


「オッタルはわからない?」とフレイヤは振り返り意見を求めた。まるで同じ男の子でしょう、と尋ねるかのように。
巌のように屹立する獣人はしばし口を引き結び、主人の問いに答えた。


「因縁かと」

「因縁……?」

「はい。フレイヤ様がお話してくださった、その者とミノタウロスの因縁……払拭できない過去の汚点が、本人もあずかり知らない場所で棘となり、苛んでいるのかもしれません」


オッタルにはベルとミノタウロスの話を聞かせてある。
推測の域に過ぎないのだが、しかし彼があの猛牛のモンスターに惨敗さえ生温い体たらくを演じただろうことは、確信に近い。
フレイヤは折りたたんだ指をその細い顎に添えた。


「つまり、トラウマ……本当に子供達は繊細なのね。私達は執着することはあっても過去には縛られない。興味深いわ。……それとも、貴方達の方から見たら、私達は能天気なだけ?」

「滅相もありません」

「もう少し乗ってくれると、私も退屈せずに済むのだけど……」


慇懃な態度を崩さないオッタルに「まぁいいわ」と微笑し、再び彼を見る。


「それなら、あの子に取りついている茨を取り除くには、どうしたらいいのかしら?」


いっそ挑戦的に見える眼差しと笑みを向け、フレイヤは従者に問うた。


「因縁たる過去と決別するというのなら、己の手で過去たる象徴を打ち破る以外に、方法はありますまい」


オッタルもまた、主神の問いを真正面から受け止める。


「……貴方もそうだったの?」

「男はみな轍を踏む生き物だと、自分はそのように愚考します」


クスリ、とフレイヤは笑って視線を引き払った。
憂慮の原因を一つ取り上げた彼女は、機嫌の良さを窺わせながら思考に耽る。


(ミノタウロスというモンスターがあの子に影を落としているというのなら、答えは簡単、何もしないで待てばいい。いつか今より成長したあの子なら、確実に乗り越えられる壁……)


時が経てばベルはミノタウロスを倒す実力を備えることになる。過去から脱却できるということだ。
何も問題はないだろう。


(そして、ミノタウロスを倒した暁には、あの子の輝きを阻むものは何もなくなる……)


そうなれば、やがてフレイヤの前に完熟して現れるだろう。きっと彼女の瞳が見惚れてしまうほどに。
その後は自分のお気に入りとして一生可愛がろうかと、今から想いを馳せてしまう。待ちわびる分、想いが募っていた。
今のフレイヤにとってベルは関心の中心だ。何者よりも魅力的になっている。
欲しいのだ、あの少年が。
ずっと手に届く位置に置いておきたいと思えるほどに。
そう考えたところで、フレイヤはふとオッタルに問いかけた。


「オッタル」

「何でしょうか?」

「貴方、何か思わないの? 私はあの子に夢中になって、既にいる【ファミリア】の貴方達を放ってばっかり」


表情を変えず黙っているオッタルに、フレイヤはなおも続ける。


「もしあの子が貴方より強くなったら、どうするのかしら?」

「……」

「私は貴方よりあの子を重宝するようになるかもしれないわ。貴方の今いるその場所を取り上げて、代わりにあの子をすげ替えるかもしれない」

「フレイヤ様のお心のままに」

「妬かないの?」


オッタルは顔色を変えず真摯に、むしろ信頼さえ覗かせて言った。


「貴方の愛はみなに平等です。特別はあれ、“優劣”はない」

「……」

「私がこの場から姿を消したとしても、貴方の愛は消えないと確信しております」


銀の瞳と黒の瞳が交差する。
無言が流れる中、オッタルはその巨体を折って静かに頭を下げた。


「出すぎた言葉を」

「構わないわ。むしろ益々愛しく思えてきた、貴方のこと」

「光栄の極みでございます」


軽口を叩きあうかのように二人は言葉を交わした。
フレイヤはそれから少し意地悪そうに笑みを浮かべ、その美しい声を紡ぐ。


「でも残念ね。堅物の貴方が嫉妬する姿、少し見てみたかったのに」

「お望みとあらば」

「……ふ、うふふふっ! あははははっ! お願いよっ、オッタル? あまり笑わせないでちょうだい? 貴方が生真面目にやきもちを焼いているところなんて見たら、私、笑いを堪えられる自信がないわ」

「……」


心底可笑しそうにフレイヤは声を漏らして笑った。口元に手の甲を当て、まるでいたいけな少女のようにお腹を抱えてみせる。
オッタルの方といえば、いつも引き締まっている顔がこの時ばかりはほんの少し――恥じらうように――揺れた。
頭部から生える猪耳がやや変な方向に曲がる。
一頻り笑ったフレイヤは目元拭う仕草をしてから、内心では羞恥を燃やしている眷族の心情を察してやり、空気を入れ替えるように話を変えた。


「ねぇ、オッタルはどう思う?」

「……と言いますと?」

「あの子のこと。私の不安は杞憂に過ぎないかしら?」


先程までの自分の考えについて尋ねてみる。
オッタルはすぐに雰囲気を纏い直し、フレイヤの言葉に耳を傾けた。


「あの子はもう私が手を出さずとも強くなる。いずれは貴方の言う因縁も断ち切れるほどに」

「……」

「でも、本当にそれでいいのかと思う私もいるわ。言葉では上手く説明できないけれど……いずれ、その内、時間が経てば……そんな文句を並べていると、そうね、酷く小心のようにも思えてしまう。そんなことないのに、自分が堕落しているみたい」


考え過ぎかしら、と独白のように呟く。
何も問題ない、何も間違っていないベルの現状に、フレイヤはただ漠然と思ってしまう。本当にこのままでいいのかと。
はっきりとした根拠はない。ただ、多くの子供達……才能ある自らの【ファミリア】の団員達を見守ってきた彼女は、時間の経過だけに全てを委ねてしまってもいいのかと思ってしまうのだ。
オッタルはこの時、初めてその瞳を細めた。


「オッタルも、この問題は時間が解決してくれると思う?」

「ええ、間違ってはいません。いずれはそうなるでしょう。しかし……」


オッタルは一度言葉を切り、絶対の確信とともに口を開く。


「冒険しない者が殻を破れぬのも、また真理でしょう」


言い切った。
己の持論を。
ここにはいない、とあるハーフエルフの少女と対極の論を。
いくども命を賭し現在の自分を築き上げた生粋の武人は、冒険しない者に“高み”へは至れないとはっきり言い切った。
それはフレイヤさえ見通すことのできない少年の未知を引き出す可能性も示唆している。
そう。フレイヤは見通せず、オッタルだけが見込んだ、少年の可能性。


「……今度のあの子への働きかけ、貴方に任せるわ、オッタル」


美の女神は葡萄酒の香るグラスを手放した。両目を閉じ、どこか投げやりに椅子の背もたれへ体重をかける。
オッタルはこの時ばかりは訝しげな顔を隠そうとしなかった。


「……どのような風の吹き回しですか?」

「だって、私より貴方の方が今のあの子のこと、わかっているんだもの」


うつむいて、少し拗ねたように言葉をこぼした後。
顔を上げたフレイヤは、妖麗に笑った。


「嫉妬しちゃうくらいに」



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