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2023.10.19

ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか 理想郷譚プロトタイプ
第40話
リセット⑧

「人が良すぎですよ、ベル様」


常人ではとてもではないが抱えきれない荷物を持って、リリは通路を走る。
両肩に回るバックパックの帯に手をかけながら、淀みなく迷いなく、入り乱れる迷路を進んでいった。
リリはベルに二つの嘘をついていた。
一つは、金に困ったサポーターなどではないということ。
リリは盗人だ。詐欺師と言ってもいいかもしれない。
実入りの高い職種の冒険者を狙い、特に高価な武具や貴重なアイテムを盗み取っていく賊。
例によって、武具の名店【ヘファイストス・ファミリア】のナイフを持つベルにターゲットを絞り、今日まで行動をともにしてきたのだ。
貧乏なサポーター云々は、ベルに近付くための方便に過ぎない。
そしてもう一つは……。


「んっ」


風圧によりフードが頭から外れる。
誰もが目を逸らす醜い傷痕があらわになった。
リリはその傷の上を小さな手でぺたりと撫で、そっと唇に“詠唱”を乗せた。


「【響く十二時のお告げ】」


灰をまぶされたように、グレーの光膜がリリの頭を覆う。
音もたてず光は溶けていき、あっという間に頭部の傷は塞がった。いや、“消え失せた”。
ついでに目元を覆っていた前髪も、綺麗さっぱりと無くなる。


「やっぱり完全に“変身”しないで、ちょちょっとパーツを弄くった方が効率はいいですね」


ベルがこの場にいたら、はっとしていただろう。
大きくて円らな焦げ茶色の瞳。快活そうで可愛げな面立ち。生々しい傷は一つとして負っていない。
今のリリは紛れもなく、ベルがあの路地裏で会ったパルゥムの少女だった。
リリのもう一つの嘘。それは正体を偽っていたこと。
冒険者の男に追われていた、いかにも怪しいパルゥムという印象を払拭するため、既に発現しているこの“変身魔法”、【シンダー・エラ】で、自分の外見を装っていたのだ。

リリはこの特殊な変身魔法を駆使して多くの冒険者を騙してきた。
被害にあった冒険者が怒り狂って盗人を追ったところで、その人物はもうリリにとって“赤の他人”だ。捕まるわけがない。
噂になっている“盗みを働くパルゥムの複数犯”は、リリの魔法の成果を如実に表している。
時にはサポーターに成りすまし。
時には無害な市民に成りすまし。
完璧な他人への変身だけでなく、傷といった身体的特徴をも付与できる魔法効果を使いこなして、リリは今日まで悪事を積み重ねてきた。


(やっぱり、あの冒険者に変身の最中を見られてしまったのは失敗でした……)


路地裏で追いかけてきたあの男は、リリに金品を巻き上げられた冒険者の一人で、たまたま【シンダー・エラ】の発動が目撃されてしまったのである。あの路地裏の追走劇の真相はそれだ。
あの時は何とか事無きを得たものの、しかし今になって、あの冒険者はどうやらベルにいらぬ告げ口をしたらしい。
昨日ベルと男との密会を見つけた後、明らかにあの少年の様子は異なっていた。頻りにリリの身を確認し、何度も何度も隠れてこちらのことを窺ってきた。まるでリリのことを疑っては探り、姿をくらますことを警戒するかのように。
あの時に潮時だと判断したのは、間違っていなかっただろう。

もったいないなぁ、とベルから掠める利益を名残惜しく感じる自分がおり。
終わってしまった、と少年が貸してくれていた居心地を、未練に思っている自分がいる。
だがどんなに思いを馳せたところで、あれ以上関係を続けることはできない。叩きつけられてしまったリスクに目を背けることなどできはしない。
全てを知ったベルは、自分のことを許そうとしないに決まっているのだから。


「……」


リリは顔色を暗くした。だがすぐにはっとなって、ぶんぶんと頭を振る。
何を今更、と罪悪感を蹴りつける。冒険者にほだされるなんていい笑い種だ。
冒険者なんてみんな一緒なのだから。
ベルも腹の内ではリリのことを馬鹿にしているに違いない。リリのことをいつでも裏切れるに違いない。
リリは無理矢理に眉をつり上げた


(冒険者なんて、冒険者なんてっ……!)


リリは、【ソーマ・ファミリア】構成員の夫婦から生まれた子供だった。つまり生を授かった時点で、彼女は【ソーマ・ファミリア】の末端に加わることを義務付けられていた。
だから、リリはリリでいた時点で、既に歯車が狂っていたのかもしれない。
世界はリリにちっとも優しくなかった。
両親は年端もいかないリリに金を稼いでくるように再三申しつけていた。親らしいことはせず、気付いたら死んでいた。金――神酒を求めるあまり、ダンジョンでモンスターに殺されたそうだ。
神酒を奪い合う【ソーマ・ファミリア】の中でリリは当然のように孤立し、独りぼっちになる。【ファミリア】の仲間は小さなリリを気にも留めなかった。苦しい毎日が続いた。
それから構成員の拡張の際に配られた神酒を飲んでしまったことで、リリも神酒の魔力に取りつかれた。
頼れる仲間はいない。独学独力で金を稼ごうと躍起になった。けれど無駄だった。リリには冒険者の才能がなく、サポーターへの転換を余儀なくされた。

そしてリリは搾取された。

冒険者パーティのサポーターを務める度、彼等は口々に言った。
魔石をくすねたな。金をちょろまかしたな。これは罰だ。お前には分け前をくれてやらない。
身に覚えはないリリは誤解ですと必死に取りすがったが、彼等はニヤニヤと笑って自分を振り払うだけ。
モンスターにリリが殺されかけても助けようとしない、治療しようともしない。荷物を無くしたらただじゃあおかないと、蹴りが飛んでくるだけだった。
【ソーマ・ファミリア】の者達は最初から当てにならない。ダンジョンをもぐり終えた後は、醜い報酬の奪い合いが待っている。


(リリは冒険者が嫌いです。ええ、大っ嫌いですっ!)


神酒の魔力が尽きた後も、リリはサポーターを続けるしかなかった。生きていけないからだ。
一度、涙を滂沱と流しながら【ファミリア】から逃げ出したことがある。
【ファミリア】の構成員という肩書を捨て、一般人に成りすまし何とか仕事にありつき、ようやく平穏を手にしたのも束の間。よりによって、【ソーマ・ファミリア】の仲間にリリのささやかな幸せは壊された。
どこから聞きつけたのか、目を狂わせた冒険者達がリリのもとへ押しかけ、金を奪っていたのだ。彼女の居場所も徹底的に打ち壊していって。
それまで優しく気さくだった花屋の老人夫婦はすぐにリリを追い出した。汚物でも見るかのような彼等の瞳を、リリは今でも覚えている。

【ソーマ・ファミリア】はここでも自分を苛めた。
リリはソーマを恨んでいる。何故こんな【ファミリア】を作り上げたのかと。
ソーマに悪意はない。害意もない。そもそもリリ達には興味すらない。無関心。
ソーマは何もしてこないし、してくれない。【ファミリア】の状態が今どうなっているのか、把握しているのかも不明だ。
ひょっとしたら彼を恨むのはお門違いなのかもしれない。偉大なるカミの視点からすれば、子供達がいっそ哀れむほどに愚かなだけなのかもしれない。
しかしリリは、自分の主神を恨めしく思うのを止められなかった。
そして結局、リリに残された道は【ソーマ・ファミリア】所属のサポーターとして生きていくしか他なかった。周囲に迷惑が及ぶ。
例え【ファミリア】の一部の構成員からはいい財布と目をつけられ、冒険者達からはタダ働きを強要させられたとしても。

そう、冒険者なんてみんな同じだ。
自分より弱いリリに酷いことをする。
あの少年だって、きっと、きっと……。


(ベル様だって……ベル様だって!)


あの優しい少年だって、いつか手の平を返すに決まっている。そうに違いない。
裏切られる前に裏切って何が悪いというのだ。
自分を孫のように良くしてくれた老人夫婦、彼等の最後の目を思い出す。そうだ、どうせ最後には捨てられる。見捨てられる。
自分の意思と反して疼く胸の痛みを、リリは思いきりひた走ることで塗り潰した。




ベルと別れたルームから上層への連絡階段は全く離れていない。難なく10階層を後にして9階層、8階層と順調に上っていく。
リリは11階層までのダンジョンの地理を徹底的に網羅していた。
彼女が冒険者をはめる手口は、今回のベルのように、何らかのハプニングを人為的に見舞い、混乱している隙をついて彼等の有り金を奪って一目散に逃げるというものだ(或いは気付かれないうちに“する”)。
その場合、彼等に追い付かれてしまっては元も子もない。リリは柔軟な対応が可能な完璧な逃走経路を、ギルドに貼り出されている階層事のマップを頭に叩き込むことで確保していた。
モンスターと遭遇したとしても、リリは他の冒険者になすりつける術に長けている。むしろそんな技術ばっかり鍛え続けてきた。
もはやダンジョンの低層はリリにとっての庭だ。モンスター達を手玉にとる自信すらある。
後は、戦利品を処理して手早く“リリに”戻ってしまえば、追手の手はもう彼女にたどり着くことはない。
あくどくて、姑息で、そして一人では何もできない、リリの精一杯な手口だった。

リリがこうして冒険者達を襲うようになった理由は、ひとえに復讐、意趣返しだ。
散々自分を苛み苦しめてきた彼等から、今まで奪われたものを取り返すと決めたのだ。【ソーマ・ファミリア】の身内さえ何人か毒牙にかけてやった。
リリはその行為を正当な権利だと信じて疑っていない。ベルのような冒険者の場合は……ついていなかった、と自分に嘘をついてまでそう思い込んでいる。自分と同じで運がなかったのだと。
神酒にはもう関心がない。逆に忌み嫌っている。また心のどこかで怯えてもいる。
ほんの香りに触れただけでも、再び自分は獣のように酒の魔力に取りつかれてしまうのではないかと。
だから復讐自体が目的になっている節もあるのかもしれない。
いつかは大量の金と引き換えに【ファミリア】から脱退して、オラリオを出てみようかと考えてもいる。


「んんっ!」


背の高い雑草を踏みつけ、リリは走行を中断した。
ルームに足を踏み入れたリリの真正面、一本しかない出口の通路の前で、8階層のゴブリンが一匹でうろうろとしている。
他の冒険者の姿はない。通路の真ん前に陣取っているため避けても通れない。引き返して別のルートをゆくとなると、ベルの身体能力を考慮したら少々危なくなってくる。
あっちはリリと比べ物にならない速度で追ってくるのだ、捕捉される可能性がある。


「リリの体は野蛮なことには向いていないのですよ?」


言いつつ、リリの決断は早かった。
クリーム色の外套、その右手の裾をぐいっとまくる。
現れたのは腕に取りつけられた小型のハンドボウガンだった。リリの、いやパルゥムの細い腕にもぴったり合うように採寸されている。


(ゴブリンに『魔剣』はもったいないです!)


一歩右足を踏んでボウガンを構える。
パルゥムは総じて視力が高い。リリの円らな瞳がこの時は鋭くなって、ゴブリンを真っ直ぐに射抜く。
相手もこちらの存在に気付いた。


「ばっきゅーんっ!」


恐ろしい速度で金属矢がボウガンから撃ち出された。
大気を貫く高速の矢はゴブリンの右目へと吸い込まれる。


「ギギャアアアアアアア!?」

「失礼します!」


醜い叫喚をあげて目玉を押さえるゴブリンの横脇を抜く。
どんっと幅の広いバックパックがゴブリンを突き飛ばした。
リリも工夫さえすれば戦える。しかしそれは多くが武器の性能とアイテムに頼る行為だ。一体のモンスターにかける費用が割に合わな過ぎる。
あくまで自衛の時にのみリリは戦うようにしている。


「シシシシッ。リリはお一人で何でもできるベル様が羨ましいです!」


【シンダー・エラ】を始め、リリの力は戦闘には向いていない。リリは非力の身だ。
冒険者達に復讐を誓うようになって手に入れた魔法も、弱い自分を変えることができるのではないかと期待を膨らませていただけに、その効果を知った後は酷く落胆したものだった。
だが次第に自分にできることとできないことを正確に掴んでいったリリは、自分の能力を最大限に活かせる方向へ開拓していった。
証拠に賊まがいのこの方法では着実に成功を収められるようになっている。
今では以前の弱い自分を笑ってやれるくらい、リリはたくましくなった。


(7階層っと!)


壁の中に埋め込まれた形の階段を駆け上げ、また一つ階層を上げる。
ダンジョンの壁面の色が薄緑色に変わる中、リリは依然速度を落とさず走り続ける。


(この階層を越えてしまえば、後はもう楽勝ですね)


モンスターの傾向からいえば、気が抜けないのはこの7階層が山だ。
ここを乗り越えれば後はどうにでもなる。
リリは少し口元を緩めて、見えてくる次のルームの入口に足を進めた。


「大当たりだぜ」

「えっ?」


狭い通路を抜け、ルームに足を踏み入れた瞬間だった。
横から伸びた足が、身長の低いリリの膝を捉えた。
つんのめったリリは豪快に地面へ飛び込む。背のバックパックが何点かの荷物を吐き出した。


(な、なにがっ……?)


混乱しながら地面に手をついて起き上ろうとするが、長い影がリリを被覆する。
はっとして顔を上げる前に、強引に掴み上げられて、顔面を思いきっり殴られた。


「ふぎっ!?」

「詫びを入れさせてもらうぜぇ? ……このっ、糞パルゥムがっ!!」


鼻血がボタボタと滴り出る間にも、もう一発、力任せの拳が頬に叩きこまれる。
視点が碌に定まらないそこへ蹴り。ごろごろと地面に転がり、バックパックがとうとう背中から離れた。
追い打ちをかけるように、腹部へ足のつま先が突き刺さる。


――ぁ!?」


ボールのように吹き飛び、一回、二回と、迷宮のフロアをバウンドする。
勢いがようやく止まった頃、リリは襲いかかってくる痛みの渦にもがき苦しんだ。


「あっ、づっ、うあぁっ……!?」

「はっははははははははっ!! いいザマじゃねえか、コソ泥がぁ!」


チカチカと点滅する視界の中で、リリは何とか声の主を見た。
ヒューマンの冒険者。昨日ベルと接触していたあの男だ。
男は醜いほど口を上げて笑ってみせる。


「そろそろあのガキを捨てる頃だと思ってたぜぇ? ここで待ってりゃあ、絶対会えるともなぁ!」


今リリ達のいるルームはいわば7階層の中間地点。
迂回ルートはなく、8階層へ向かうにしても6階層へ戻るにしても、必ずこの空間を通過しなければならない。
リリはまんまと待ち伏せされたのだ。


「見覚えのある白髪のガキにパルゥムが付きまとっているのを見た時には、まさかとは思ったがよ……何だ、あのガキは目もくらんじまうほどいいもん持ってたのか? 迂闊じゃねえかよ?」

「っ……!」

「まぁんなことはどうでもいい。ブッ殺す前に、俺の剣を盗っていてくれた落とし前、つけさせてもらうからなぁ……!」


身ぐるみをはいでやる、と男は嗜虐的な目をして告げた。
血の止まらない鼻を押さえていたリリに手を伸ばし、その外套をはぎ取って装備品を取り上げる。
リリは抵抗らしい抵抗も働けない。


「魔石に、金時計にぃ……おいおい、お前、魔剣なんか持ってやがったのかっ!? ひゃははははははははっ! これも盗み取ったってわけかよ!」


高価な魔剣の存在に男は愉悦する。
他人の所有物とわかっていながら、己のことは棚に上げ、既に自分のものにするつもりらしい。
男は紅のナイフを片手で取り回し、一気に上機嫌になった。


「くくくっ……! いいぜ、許してやるよクソパルゥム。てめえからこんなプレゼントもらっちゃあ、俺も器のでけえところを見せてやらねえと……なぁっ!」

「あぐっ!?」


二度に渡り腹を蹴られ、リリは悶絶した。
碌に息を吸えない中、男の声が遠くに聞こえる。


「こりゃあ振れば炎でも出てくんのか? くははっ、てめえで試してみるか?」

「ギィィ……グシィイイイイイイイイイイ!」

「……あぁ、コイツでいいなぁ」


通路からのっそりと姿を現したキラーアントに、男は口をつり上げた。
長剣をそうするように上段からナイフを振るう。


「そらよっ!」

「グバァアアアアアアアアアアアア?!」

「おー、燃える燃える」


ちょうど頭部と同じ大きさの炎を食らい、キラーアントは悲鳴をあげる。
男はそれを満足気に見た後、ニヤニヤと地面に這いつくばるリリを見下ろした。


「じゃあな、糞パルゥム。あの獲物はてめえにくれてやるよ。俺様の“最後”のお給金ってやつだ」

「……!」

「少し待ってりゃ狩り放題だぜ? わらわらと集まってくるからなぁ! ははははっ!」


男はリリのバックパックまで物色し、目ぼしいものを奪ってルームの外へ向かう。
燃え盛るキラーアントを放置して、冒険者は哄笑しながらその場を去っていった。


「報酬なんてっ、一度もっ、渡してなんかないくせに……っ!」


爪を地面に突き立てながらリリは吐き捨てる。
追剥にでもあったような彼女の姿は無残の一言に尽きた。


「シッ、シシシシッ……。いい、ですっ……くれてやりますっ。調子に乗って使えばっ、あんな魔剣、すぐに砕けるのですから……!」


無理をして頬を引き攣らせ、ふてぶてしい笑みを浮かべる。ともすれば、その言葉は負け惜しみに違いなかった。
サポーターとしての財産を全て奪われながら、リリは再起を計る。
手をぷるぷる震わせながら、何とか上半身を起き上らせた。


「はぁ、はぁ……っ!?」

「ガバァ、ギシャァアアアアアアアアアアアアア!?」


キラーアントの絶叫が、リリの視線の先で暴れ馬のように猛っている。
炎の衣を纏っているモンスターは手足をばたつかせ、滑稽なダンスを踊っていた。だがリリにはそれを笑うことはできない。
キラーアントは瀕死の状態に陥ると特別なフェロモンを発散する。仲間を呼び寄せる、特別な救援信号をだ。
やがて男の言葉通り、通路から二匹のキラーアントがやって来た。
ぐらぐらと体をよろめかせ、視線の先の一匹と同じように、燃え盛りながら。


「ギガァアアアアアアアア……ッ!」

「なっ……」


また、魔剣を使ったのか。しかもあんな炙り殺すような使い方をして。
リリは目を剥いて、そしてすぐにあの冒険者の真意を悟ってしまった。
最も凄惨なやり方でリリを始末する気だ。絶望という絶望を与えてリリを殺す気だ。
醜悪な蟲の大群に、リリの肉片一つ残さず食い荒らさせる気だ。


「うぐぅっ……!」


不味い、不味い、不味い。
三体のキラーアントが永遠とフェロモンを出し続けたらどうなるのか、どれほどの数の仲間が引き寄せられるのか、リリには皆目見当がつかない。
今すぐこの場から離れなければ取り返しのつかないことになる。
リリは必死に鞭を打ち込むが、しかし小さい体は簡単に言うことを聞こうとしない。
痛めつけられた全身は、しばらくまともに動き出しそうになかった。


「ガァアアアアア……」

「ギュシイイイイイイッ」

「ひっ……!」


たちまちキラーアントはその数を増した。
通路の奥から四匹も固まっていっぺんに出てくる。
このルームの出入り口は三方向、ちょうどT字を描くように配置されていた。
男が消えた左手の通路からは続々とキラーアントが溢れてくる。
Tの下の部分に当たる、リリが8階層からやって来た方向からも、いよいよ蟻のモンスターは姿を現し始めた。


「何だこりゃあ……」

「キラーアントの群れ?」

「おい、やべえぞ。さっさと逃げねえと」


聞こえてきた声にリリは顔を振り向けた。
残された右手側の通路、そこから三人の冒険者が顔を覗かせている。
見覚えのある三人組に、リリは藁にも縋る思いで声を張った。


「カヌゥさん! ケイさん! レンダーさん! 助けてくださいっ!」

「?」

「ありゃあ……アーデか?」


男達がリリの方に気付いた。
迫ってくるキラーアントに尻餅をついたまま後退しながら、リリは必死に懇願する。


「お願いです、リリを助けてください! ……お礼は、お礼はちゃんとしますからっ!」

『……』


男達は顔を見合わせ、ニッと笑った。
ずかずかとルームに入り込んでリリのもとへ足を進める。
近寄って来た数匹のキラーアントは連携して素早く息の根を止めた。


「大丈夫か、アーデ? 来てやったぜ? お前を助けるためにな?」

「……はい。ありがとうございます」

「同じ【ファミリア】の仲間だからな、頼まれちゃ断れないってもんだ」


男達はリリと同じ【ソーマ・ファミリア】の構成員だった。
そして先日、リリを脅迫して金を巻き上げようとしていた者達でもある。
リリはうつむきながら仲間の一人、カヌゥに言葉を絞り出した。


「そうだぜぇ、来てやったんだぜぇ、アーデ? お前のために、こんなヤバいところへ危険を顧みないでな?」

「……はいっ」

「俺の言いたいこと、わかるよな?」


どこか芝居のかかった口調がうつむくリリに絡みつく。
リリを見つめる瞳は、実際には彼女を見ていなかった。
男が見ているのは金だ。厳密に言えばその先にある神酒だ。
一見冷静そうに映るカヌゥの顔は、その内側に不安定な情緒を厄介なまでに抱え込んでいる。


「おい、早くしろ! 本当にやべえ!」

「わかってる! ……お前、昨日は金はないって言って出さなかったよな? もし、また誤魔化そうとしたら……」

「わかってます! わかってますからっ!」


かろうじて理性を繋ぎ止めているような顔に、リリは顔を縦に振った。
出し惜しみしている暇はないと、隠していた小さな鍵の首飾りを男に差し出す。


「何だ、これは?」

「オラリオの東区画にある、ノームの貸し出し金庫の鍵です……」

「セーフポイントのことを言っているのか? あの小さいボックスに大金を保管できる余裕なんて……」

「入っているのは、ノームの宝石です……」

「……なるほどなぁ」


ノームが所有する宝石や鉱物は貴重だ。確かな価値と信用がある。
リリは所持に困る金貨を件の万屋で宝石に変えてもらい、万が一のために貸し出し金庫に隠していたのだ。
薄ら笑いを浮かべ頻りに頷くカヌゥは、リリの服の襟を掴んで立ち上がらせ、そしてそのまま、その軽い体を自分の眼前に持ち上げた。


「カ、カヌゥ、さんっ……? なにをっ……!」

「ちょっとヤバいんでなぁ。周りを見てみろ。もう囲まれかけちまってる」


二十にも及ぼうかというモンスターの大群がリリ達を方位しつつあった。かろうじて右手の出口だけは塞ぎきっていない。
吊るし上げられたリリは細い足をばたばたと振るが、虚しく宙を泳ぐだけだった。
無精髭を生やす獣人のカヌゥは嫌らしく笑みを浮かべる。


「囮になってくれや」

「!?」

「アーデがあの虫どもを引きつけてくれりゃあ、俺達はもと来た道を戻れる。あそこにはまだそこまで群がっていねえし、時間を稼いでくれりゃあ俺達でも蹴散らせるだろ」


驚愕した眼差しで目の前の男を見つめる。
ばっと他の男達を見ると、彼等もまた下卑た笑みを浮かべていた。


「金がねえって言うんなら、お前はもういらねえよ。最後に俺達をしっかり支援してくれよ、“サポーター”?」


投げられた。
宙高く放物線を描き、キラーアント達の頭上を飛んでいく。モンスターは飛んできたリリに敏感に反応し、一斉に彼女を仰いだ。
時間を止めるリリは、大笑いして去っていく仲間達を見つめ、やがて地面に叩きつけられた。
衝撃で呼吸が止まりかけたが、それだけだった。



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