2023.02.02
迷宮都市オラリオ。
ダンジョンと通称される地下迷宮を保有する、いや迷宮の上に築きあげられた巨大都市。
都市、ひいてはダンジョンを管理する『ギルド』を中核にして栄えるこの都市は、ヒューマンも含めあらゆる種族の亜人が生活を営んでいる。
学がない僕がオラリオについて説明できるのはこのくらい。住みついといてあれだけど、本当に大雑把な認識程度だ。
ダンジョンにもぐりそこから得た収入で生計を立てる人達を一概に『冒険者』と言って、今の僕の職業でもある。
僕はオラリオから少し離れた田舎育ち。世間知らずと言ってもいい僕は、一年前に育ての親の祖父が亡くなり保護者を失った後、残った財産を持って村を飛び出した。
言わずもがなダンジョンでの出会いを渇望していたからだ。当時は盲目的だったけど、命を危険にさらされた今になると、流石に馬鹿な理由で来たものだと顧みる思考が生まれてくる。
こんなふざけた考えで冒険者になったのは僕くらいかもしれない。まぁ、富とか名声とか、そういったものを求めている人達と中身は変わらないような気はちょっとするんだけど。
ただ『生きる』って難しい。それが今日死にかけてよくわかった。
ダンジョンだって何だって、そう簡単に思うようにはいかないってことだ。
当初とすげ替わった目的、ヴァレンシュタインさんのことも含めて。
様々な人種で溢れる大通りを縫うように駆けていく。
ドワーフ、ノーム、獣人、パルゥム……市民のたたずまいをした人達もいれば物騒な装備で固められた人達もいる。
ヒューマンの田舎で育った僕にとってこの街は全てが新鮮で色鮮やかだ。この人ごみの波だけでも、いくら見続けようが飽きることはなさそうだった。やかましいと思えるほどの喧騒が妙に心を浮き立たせてくる。
すれ違った怜悧な面持ちのエルフに目を奪われながらも目的地を目指す。メインストリートを出ていかにもというような細い裏道を通り、いくども角を曲がる。
背中に届いていたざわめきが途絶えた頃、僕は袋小路に辿り着いた。
「……」
確認する必要はなかったけど、一応首を振ってから人影がないことを認め、しゃがみこむ。
僕の足元には下水道への入口……黒ずんだ円形の鉄門がある。
いつもの要領でその扉を地面から引き剥がし、するりと穴の中に侵入する。蓋を戻すのも忘れない。
(うっ……相変わらず)
梯子を下りて、存外に広いトンネル状の下水道に降り立った瞬間、えも言えない異臭が襲ってきた。
僕はひーひー言いながら鼻をつまんでトンネルの奥に進む。
薄暗く背の高い隧道を歩き続けてしばらく、お粗末な松明がたてかけられた明るい一角が現れた。赤銅色の壁面に無理矢理はめ込んだような木造りの扉に手をかけ、一気に開く。
「神様、帰ってきましたー! ただいまー!」
声を張り上げて足を踏み入れると、広がるのは下水道にはまず似合わない生活臭のする小部屋だった。人が暮らしていく分には、まぁそれなりの広さ。
僕が呼びかけた人は部屋に入ってすぐにある、紫色のソファーの上に寝転がっていた。仰向けの姿勢で開いた本を見上げていた彼女は、ばっと起きて立ち上がる。
外見だけ見れば幼女……と少女の境界線を揺れ動いているような感じ。僕より身長は低くて、他人には『年の近い妹』で十分に通用する。
幼い顔に笑みを浮かべる女の子は、トトトトと音をたてて僕の目の前までやって来た。
「やぁやぁお帰りー。今日はいつもより早かったね?」
「ちょっとダンジョンで死にかけちゃって……」
「おいおい、大丈夫かい? 君に死なれてしまったらボクはかなりショックだよ。柄にもなく悲しんでしまうかもしれない」
小さい両手が忙しなくパタパタと僕の体を触れて、安否を確かめてくる。
その気遣いと告げられた言葉に僕は嬉しくなり、頬を染めて照れてしまった。
「大丈夫です。神様を路頭に迷いこませることはしませんから」
「あっ、言ったなー? なら大船に乗ったつもりでいるから、覚悟しておいてくれよ?」
「なんか変な言い方ですね……」
二人して笑みを漏らし、部屋の中に進んだ。
部屋の中は正方形と長方形をくっつけた、ちょうどPの字のような形。
正方形の部分にあたる出入り口前の二つのソファーに、僕と彼女はそれぞれ座る。
正対する女の子は、紛れもなく美少女だ。ギザギザとした漆黒の髪が耳を隠すほど伸びていて、更に横からはツインテールが作られ腰まで届いている。見れば見るほど変わった髪型だった。少なくとも男の僕はそう思う。
将来は絶世の美女を約束されているようなものだけど、彼女が今の姿から成長することはありえない。
神様、と僕が呼んだように、この人は『神』だ。
ヒューマンや亜人、迷宮に出現するモンスター達とも違う、一つ次元が違った僕達の上位存在。
僕達のように年はとらないし姿も変わらない。人知を越えてしまっていて、僕の憧れる英雄達よりスゴイ御方。
「それじゃあ、今日の君の稼ぎはあまり期待できないのかな?」
「いつもよりは少ないですね。神様の方は?」
「ふっふーんっ、これを見るんだ! デデン!」
「そ、それは!?」
「露店の売上に貢献したということで、大量のジャガ丸くんを頂戴したんだ! 夕飯はパーティだ! ふふっ、ベル君、今日は君を寝かせないぜ?」
「神様すごい!」
そんなスゴイ御方は、普通にヒューマンのお店でアルバイトをしてしまっているわけだけど。
勿論、お金を稼いで明日を生き抜くためだ。
――遠い昔、“神様達”は僕達が暮らすこの世界……彼女達からすると『下界』へとあたるこの地に降り立った。
お伽噺とかいっぱいあるけど、目の前の神様の言葉だと要は「天界は退屈で仕方がなかった」らしい。
僕達が一般的に思い浮かべるような楽園――『天界』にて無限の時をダラダラと過ごす毎日に飽き飽きしてしまった沢山の神様達は、様々な無駄を拵えながら文化や営みを育む子供達(下界に住む僕達のことだ)に娯楽を見出したという。
『子供達と同じ地位かつ同じ能力で、彼等の視点に立つ』。
完璧の存在であるが故に不完全、無駄だらけの僕等とこの世界に興味を持ったのだ。
結果的に下界は神様達を大いに興奮させた。全く思うようにいかない事象、食事や趣味や芸術等で満たされる欲求、親交という名の不特定多数の繋がり。
笑えた、らしい。
神様達にはまるでゲームでもやっているような感覚らしいけれど、予断を許さないこの一時が楽しくて楽しくて仕方がないのだと。
そうやって、神様達はほどなくしてこの下界に住みついた。多くの神様達が永住することを決めたらしい。
先住者である僕達のご先祖様達はそれを拒める筈もなく、いやむしろ恩恵を授けてくれる存在として神様達を重宝したそうだ。言い方はあれだけど、利用して利用される関係? 現代の仕組みはその関係が如実に現れている。
子供達の中に紛れて、僕達が互いにそうするように日々を助け合い、生きていく。
不自由とは無縁の生活を捨てて、神様達は不自由なこの世界にのめり込んでいったのだ。
「いやぁ、それにしても……マスコットキャラとして道行く人はみんな可愛がってくれるけど、ボクの【ファミリア】に加わりたいという人は相も変わらず皆無だよ。全く、ボクの名のヘスティアが無名だからって、みんな現金だよねえ」
「うーん、どの【ファミリア】も授かる恩恵は一緒なんですけどね……」
神様の名前は『ヘスティア』。僕達と同じように神様達にも呼称が決まっているらしい。
【神の眷族(ファミリア)】とはつまり、その神様による派閥。
【ロキ・ファミリア】だったら【神ロキの眷族】という意味で、【ヘスティア・ファミリア】だったら【神ヘスティアの眷族】。ロキ派とかヘスティア派とか、~派と呼ぶ人達もいる。
【ファミリア】に加わるということは、僕の感覚からすれば、神様の家族になるということと同じだと思う。
神様達も下界で僕達と同じように生きていくと決めた以上、衣食住は勿論お金も必要になってくる(神様達の間で、下界では神の力を使ってはいけないというルールが取りきめられたらしい)。
働くことが好きっていう神様もいるらしいけど、やっぱり楽しいことだけを享受したいっていう方達は断然多い。そこで、そんな神様達は自分達が好き勝手なことをするために、僕達下界の者の力を借りることにした。
【ファミリア】に加わることで下界の者は神の恩恵を受ける、神様は色々お願いしたりお金を稼いできてもらったりする。
つまり、身も蓋もない言い方だけど、神様は【ファミリア】の構成員に養ってもらうということだ。
けれど僕達下界の者にとっても、神の恩恵のご利益は無視できないものがあって、一度授かってしまえば、どんな人でも下等のモンスターなら撃退できるようになってしまう。
「ギブアンドテイク」だと、神様はそんなことを言っていた。
「はぁ、ベル君一人に負担を強いるのはボクとしては心苦しいんだけど……」
「僕は別に……それに神様だって働いてくれているじゃないですか」
多くの構成員を抱える大きな【ファミリア】があれば、僕達のようないわゆる“矮小な”【ファミリア】もある。
こうなってくると神様も四の五の言ってられなくて……このヘスティア様のように働かなければいけなくなる。大好物の娯楽を噛み締める暇もなく、単純に生きるために。
その気になれば何だってできるのに、あくまで下界の枠組みの中に留まろうとする神様達を、僕は思わず笑みとともに親近感を抱いてしまう。
いやまぁ、中には【ファミリア】を操って意のままの王国を作っちゃう――というより【ファミリア】自体を王国にする――神様もいるんだけど。……王国経営ゲーム、なのだそうだ。
しかしそれも、人の手で運営されて人の手で築き上げられていくものだから、神様達のルールには反していないらしい。神様が下界を好きなように弄くってるなんて陰口叩く人がいるけど……それでもそれは、王族と名乗る一部の下界の者達が望んでいたことでもある。
神様は人の織りなす出来事と経過をニヤニヤと見守っているけど、結局、彼等の力は人の促進剤としての域を出ないのだ。