2023.01.26
「エイナさぁあああああああああああああああああんっっ!」
「ん?」
ダンジョンを運営する『ギルド』の窓口受付嬢、エイナ・チュールは片手に持った小冊子から顔を上げた。
ちょんと尖った耳に澄んだ緑色の瞳。セミロングのブラウンの髪は光沢に溢れている。美しいその容姿はエルフのように完璧に冴え渡っているわけではなく、どこか角が取れた風貌。仕事人然としながら親しみやすいともっぱら評判の妙齢の彼女は、ヒューマンとエルフのハーフである。
多くの冒険者達がダンジョンにもぐっている昼下がり、受付役として暇を持て余していたエイナは、自分の名を呼ぶ声の主をすぐに察する。
(今日も無事だったんだ……)
既に半月前か。
瞳を盛大に輝かせながらあの少年がギルドの手続きを行ったのは。
自分が担当したその少年の年は十四。種族はもとより老若男女も関係なく成れる冒険者であるが、その職業柄、犠牲者は絶えない。まだ年端もいかない子供だ、わざわざ危険地帯へ赴くのに無論いい顔はできなかった。
自分が担当しただけあってその身を案じているエイナは、少年――ベル・クラネルの安否を確認して頬を緩ませる。
返事をしようと声の方向に振り向くと、
「エェイィナァさぁぁああああああああああああああああああああああああんッッ!!」
全身がドス黒い血色に染まりきっている少年の姿が、視界に飛び込んできた。
「うぁああああああああああああああああああああああああああああああああああ!?」
「アイズ・ヴァレンシュタインさんの情報を教えてくださあああああああああいっっ!」
「ベル君、キミねぇ、返り血を浴びたならシャワーくらい浴びてきなさいよ……」
「すいません……」
僕はその言葉にうなだれた。
ギルド本部ロビーに設けられた小さな一室。
今、僕達はお互いテーブルを挟んで、椅子につき向かい合っている。
身洗いしてさっぱりした僕の前で、エイナさんはこれみよがしに溜息をついた。
「あんな生臭くてぞっとしない格好のまま、ダンジョンから街を突っ切ってここまで来ちゃうなんて、私ちょっとキミの神経疑っちゃうなぁ」
「そ、そんなぁ」
見目麗しいエイナさんにそんなことを言われると冗談抜きで心が抉られる。眦に涙が浮かび上がってしまいそうだった。
エイナさんは苦笑して僕の鼻をちょんと指で押さえると、「今度は気をつけてね?」と微笑んでくれた。
ぶんぶんぶんっ、と僕は大げさに首を縦に振る。
「それで……アイズ・ヴァレンシュタイン氏、の情報だったっけ? どうしてまた?」
「えっと、その……」
赤くなりながらことの顛末を語った。
普段通っている2階層から一気に5階層まで下りてみたこと。
足を踏み入れた瞬間いきなりミノタウロスに遭遇して追いかけ回されたこと。
追い詰められたところを、【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタインさんに救われたこと。
動揺しながらなんとかお礼を言おうとしたけど、あまりに情けない姿――股付近の地面には水たまりができていた――に発狂して、全速力で逃げてしまってきたこと。
耳を傾けてくれていたエイナさんは、僕の話を聞くうちに表情を険しくしていく。
「――もぉ、どうしてキミは私の言いつけを守らないの! ただでさえソロでダンジョンにもぐってるんだから、不用意に下層へ行っちゃあダメ! 冒険なんかしちゃいけないっていつも口を酸っぱくして言ってるでしょう!?」
「は、はいぃ……!」
“冒険者は冒険しちゃいけない”。
エイナさんの口癖だ。文字だけ見ると矛盾しているように見えるけど、つまりは「常に保険をかけて安全を第一に」という意味だ。
特に僕みたいな駆け出しは肝に銘じておかなければいけないのだとか。冒険者に成り立ての時が一番命を落とすケースが高いらしい。
5階層でLv.1にカテゴライズされるミノタウロスと遭遇するなんて誰にも予想できない。あのモンスターは少なくとも15階層以下の迷宮に出現するというのが一般見解だ。エイナさんに言わせれば「ダンジョンは何が起こるかわからない」っていうことなんだろう。
……本当に、あの人がいなかったら今頃死んでいた。思い出すだけで背筋が震え、また尿意を催してくる。
僕はエイナさんに言われたことを二度と忘れないと心に誓った。
「はぁ……キミは何だかダンジョンに過大な夢を見ているみたいだけど、今日だってそれが原因だったりするんじゃない?」
「あ、あははははっ……」
正解。
異性との出会いを求めてちょっと冒険をしてみたくなりました……なんて馬鹿正直に言ったら、きっと叩かれちゃうな。
もともと、僕が冒険者になろうとしたのはまだ見ぬ美女美少女と仲良くなりたいという不純な動機だった。
ギルドの手続きの際に僕の胡散臭い情熱を目の当たりにしたエイナさんは、こちらの胸中は把握していないにしても、半ば確信しながら疑いの眼差しを向けてくる。
いやでも、今日からは違う。僕はそんな不純な動機をうち捨てて、純真一途な理由でダンジョンにもぐるんだ。
あの人に、出会ったから。
「あの、それで、ヴァレンシュタインさんのことを……」
「う~ん……ギルドとしては冒険者の情報を漏らすのはご法度なんだけど……」
教えられるのは公然となっていることくらいだよ? と前置きをしてエイナさんは語り始めた。何だかんだでこの人は親切だ。僕が駆け出しだからって理由もあるのかもしれないけど。
本名アイズ・ヴァレンシュタイン。【ロキ・ファミリア】の中核を担う女剣士。
剣の腕前は間違いなく冒険者の中でもトップクラス。
単独でLv.4相当のモンスターの群れを殲滅したこともあり、冒険者達の間でついた渾名が【剣姫】をもじった『戦姫』。
神様達の間でもその名前は知れ渡っており、『アイズたんテラ無双www』と称賛されているらしい。
下心を持って近寄ってくる異性は軒並み玉砕、あるいは粉砕。ついこの間とうとう千人斬りを達成……。
「え~と、あと他には何があったかなぁ……あの容姿であの強さだから、話題は尽きないんだよね」
「あ、あの、冒険者としてじゃなくて……趣味とか好物とか、後は今言った最後みたいな情報を……」
僕が顔を熱くしながらおずおず言うと、エイナさんは振り向いて目をぱちくりと瞬かせた。
「なぁに、ベル君も彼女のことを好きになっちゃったの?」
「いや、その……ぇぇ、はい……」
「あはは、まぁ、しょうがないのかな。女の私でも彼女には思わず溜息をついちゃうし」
苦笑してエイナさんは口元に紅茶を運ぶ。動作一つ、どれをとっても雅やかだ。
ヴァレンシュタインさんのことを誉める彼女も、冒険者達の中では普通に人気が高い。狙っている人は数知れないともっぱらの噂。僕もエイナさんに担当してもらって浮かれていた口だ。
ハーフといってもエルフの容貌は色濃く反映しているし、それでいてこんな風に意外と人懐っこく親しみやすいものだから、印象と実態の懸隔にやられる人が多いみたいだった。
エイナさんはその後ちょっと考え込んで、ヴァレンシュタインさんと今付き合っている人というのは聞いたことがないと教えてくれた。
僕は思わずガッツポーズをとる。
「趣味とかそこまで踏み入った話は流石に聞いたことがない……って、ダメダメ、これ職務にてんで関係なし! 恋愛相談は受け付けてないって!」
「そ、そこをなんとか!」
「だーめ! ほら、もう用がないんなら帰った帰った!」
立ち上がり、僕を追い出すように部屋の退出を促すエイナさん。
惰弱な抵抗も徒労に終わり、ギルド本部のロビー前に二人して出る。
「ああ、エイナさんのいけず……」
「あのねぇ……キミは冒険者になったんだから、もっと気にしなきゃいけないことが沢山あるんだよ?」
「うっ……」
それは、わかってる。
庇護してくれる存在がない今の僕は、明日を生きるためにこの体を使ってダンジョンにもぐり続けるしかない。お金の工面などにも意識を割いておかないと大変なことになる。
養わなければいけない人……いや、『神様』もいるのだ。ヴァレンシュタインさんのことを熱心に考え込む余裕は実際僕にはないのだろう。
「キミはもうロキ以外の神から恩恵を授かったんでしょう? 【ロキ・ファミリア】で幹部も務めるヴァレンシュタイン氏にお近付きになるのは、私は難しいと思う」
「……はい」
「……想いを諦めろなんて言いたくないけど、現実だけはしっかり見据えておかなきゃ。じゃないと、ベル君のためにもならない」
少なくとも今は冒険者として頑張れ。言外には、そんなところだろう。
【ファミリア】の部分を引き合いに出された時は、遠回しに死刑宣告された気分だったけど。
若干へこんだ僕に困った顔をしながら、エイナさんはギルド職員としての事務的な対応をした。
「換金はしていくの?」
「……そうです、ね。一応、ミノタウロスに遭遇するまではモンスターを倒していたんで」
「じゃあ、換金所まで行こう。私も付いてくから」
気を遣わせてしまっているのが結構心苦しかった。ただでさえ、まだ右も左もわからない今の僕に良くしてもらっているというのに。これではいつまで経ってもエイナさんには頭が上がりそうにない。
それから僕達はギルド内にある換金所に向かい、本日の収穫を受け取った。
ゴブリンやコボルトを中心に倒して手に入れた『魔石の欠片』。全て合わせて1200ヴァリスほど。いつもより収入が低いけど、これはヴァレンシュタインさんから逃げ出したために、普段より短い時間しかダンジョンへもぐっていなかったからだ。
うーん、武器の整備や神様と僕の分の食事を考えると、アイテムの補充はできないかな……。
「……ベル君」
「あっ、はい。何ですか?」
帰り際、出口まで見送りにきたエイナさんに引きとめられた。
彼女は逡巡する素振りを見せながら、思いきったように口を開く。
「あのね、女性はやっぱり強くて頼りがいのある男の人に魅力を感じるから……えっと、めげずに頑張れっていれば、その、ね?」
「……」
「……ヴァレンシュタイン氏も、強くなったベル君に振り向いてくれるかもよ?」
動きを止めて、その言葉をよく咀嚼して、上目がちに僕の方を窺ってくるエイナさんを見つめて。
ギルド職員ではなく、一人の知人として自分を励ましてくれていることに気付いた僕は、みるみるうちに笑みを咲かせた。
勢いよくその場から駆け出した後、すぐに振り返り、エイナさんに向かって叫ぶ。
「エイナさん、大好きー!!」
「……えうっ!?」
「ありがとぉー!」
顔を真っ赤にさせたエイナさんを確認して、僕は笑いながら街の雑踏に走っていった。