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2023.07.20

ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか 理想郷譚プロトタイプ
第27話
魔法は膝枕を喚ぶ魔法③

「そう。また強くなったのね」


呟きが落とされた。
遥か下方に見える小さな小さな白い影。前をゆくもう一つの影を追い、走って遠ざかっていく。
彼女は興奮が冷めやらないというように、去っていくその影へ熱い視線をそそいでいた。
雲が動き、夜空に浮かぶ月が暗闇に包まれる室内を照らし出す。
壁一面をまるまる占領する長方形の硝子。その窓際に立つ人物の立ち姿を、スポットライトのようにはっきりと浮かび上がらせた。
黒色の薄いネグリジェに包まれた、細身でありながら豊満な体つき。
冷たい月の光を浴びて一層神秘さを帯びるきめ細かな白皙の肌。
腰まで越えようかという銀の長髪が、空に浮かぶ星々を詰めこんだかのように輝いていた。


「それでいい。貴方はもっと輝ける……」


その行き過ぎた己の美貌を薄く映す硝子を、彼女――フレイヤは、手をついてカリと鳴らした。
ゆっくりと唇の端が持ち上がる。
美酒に陶酔したかのような光を奥に宿す銀瞳は、『バベル』から離れていく少年の姿を掴んで放さない。
巨塔バベルの最上階。
塔の中でも最上品質にあたる一室で、部屋の主であるフレイヤはベルを見下ろしていた。


「もっと輝きなさい。貴方には、私に見初められた故の義務がある……」


ベルを見下ろす双眸には、深い情愛と、そして己より劣位の存在との間で成立する絶対優越があった。
フレイヤは執心していた。ベルに。
些事を放り出し、いっそ火のついた痴情を解き放ってしまいたいくらいに、美の神は一人の少年に夢中になっていた。

フレイヤには、洞察眼というべき下界の者――『魂』――本質いろを見抜く瞳がある。
それは神達の間で使用禁止と取り決められた、絶対無比な『神の力』そのものではなく、あくまで性質……先天的能力スペックなのでタブーには引っかからない。
彼女は以前からこの瞳もとい力を使い、天界にある自分の館へ死没した下界の者……特に英雄と謳われるような戦死者を運んでいた。
コレクション、と言ってもいい。
その眼でどの神よりも早く死せる魂の色を把握し、気に入った者を自分の懐へ囲っていたのだ。
死後、彼女の手による『神の審判』を受けた者は幸運だ。
死後を迎えておきながら、彼女のその目にとまった者達は幸福の絶頂だ。
美の神と称される彼女に永劫可愛がられるのだから。
それが自由を許されない、無限の束縛であったとしても。

美と愛を司る神フレイヤ。
正と負の二面性を併せ持つ、奔放で残酷な『美の女神』だ。


「より強く、より相応しく……それが貴方の義務」


他の神達がそうしていたように、自分の館を含めた領地を放り出し、気の向くまま下界に降りてきても、フレイヤの“趣味”は変わらなかった。
その瞳をもってして子供達の本質を、才能を、輝きを見抜き、より優れた『魂』の持ち主を自分の【ファミリア】に加える。
拒む者は誰もいなかった。拒める者は誰一人としていなかった。
フレイヤの魔性の美に逆らえる者は、存在しなかったのだ。
故に、彼女の【ファミリア】の構成員は周囲と隔絶した実力を持つ。【フレイヤ・ファミリア】はこの迷宮都市オラリオの中でも、最強の【ファミリア】の内の一角だ。
彼女の瞳の力を知っているロキには、『死に腐れチート能力』とまで言われている。


「私も強い男が好きよ?」


ベルを目にしたのは偶然だった。
ある日の早朝。メインストリートを歩む彼の姿を、その銀の瞳が捉えたのだ。

――欲しい。

一目見た瞬間、そう思った。
久しく感じていなかったあの感覚。全身がぞくぞくと打ち震え、下腹部は疼き、恍惚の吐息が喉の淵から溢れ出してくる。
これまでがそうだったように、アレを自分のモノにしたいと、醜くも子供のように純粋な願望が頭をもたげた。
ベルは、この瞳が今まで見たことのない色をしていた。透明の色だ。
これからどのような色に変わるのか、それとも透き通ったままでいるのか、興味が尽きることはない。
だから、ではないが。
しばらく様子を見たくなった。自分の色に染め上げるのもそれはそれで一興だが、経過を見てからでも遅くはないような気がした。


「楽しみだわ。貴方がどこまで強くなるのか、どこまで輝けるのか……どんな色に変わるのか」


ベルの背中を見守るその瞳には確かに慈愛がこめられていた。ただし、倒錯した慈愛だ。
フレイヤはその蠱惑的な唇に折り曲げた人差し指を含め、甘く噛む。
扇情的な香りが一瞬で辺りを満たした。


「あら? ……うふふ、また気付いたの?」


視線の先、かなり小さくなっているベルが急に立ち止まり、頻りに顔を振っている。
不安に襲われ、何かを探し出そうとしている素振りだ。フレイヤは目を細めて笑みを深くする。
あのメインストリートで最初に見初めた時もそうだった。
熱く昂った体に促されるまま視線を向けていると勘付かれてしまった。彼の感覚は思ったより鋭いらしい。
あるいは、彼を見つめる自分のこの眼が無遠慮に過ぎるのか。


(今までの子達と比べて才能は乏しいように思えたけど……中々どうして。それとも、それも全部含めて“成長”しているのかしら? ふふ、本当に面白い……)


正直に言ってしまうと、あの時に取り込んでしまっても良かった。
異性と親しげに会話しているその様子を観察しても籠絡は容易のように思えたし、他の『神の恩恵』を授かっていようが、強引に口説き落とせる自信もあった。
それはしなかったのは、少年のバックにいる神の存在を確かめていなかった――流石に【ロキ・ファミリア】のような同格の相手と荒事を構えたくはなかった――のと。
後は、その無邪気な笑顔を見て毒気が抜かれてしまい、気が乗らなくなったからか。


(ヘスティアには悪いことをするけど……もらうわね、あの子)


何にせよ、今回は趣向を変えて影ながら見守るのも悪くない。フレイヤはそう思う。
猫を可愛がるように自分の膝の上であやすのも新味に欠けてきた。時には庭に放して目一杯遊ばせるのもいいだろう。
所詮、そこは自分の箱庭だ。
いつでも手出しはできる。


「貴方を私のモノにするのは待ち遠しいけれど……複雑ね、来ないでほしくもある。今この時が、一番胸が躍るのかもしれない」


きっとこれも、今までがそうであったように、手に入れた後はいずれベルのことも飽きるのだろう。
お気に入りの玩具は戸棚を飾る人形の一つに成り下がる。
思い出したように棚から取り出し、存分に遊んで可愛がり、そしてまた戻す。
最初に感じていた期待と喜びは掠れていくものだ。感情は劣化していく。
愛と同じ。絶頂を迎えた後は、ゆるやかに下っていくだけ。完全で終結している愛は憧憬の対象にはなりえない。
それが虚しい、とはフレイヤは思わない。愛とはそういうもので、そしてまた彼女は愛の女神なのだから。
故に、戸棚を飾る収集品コレクションは多すぎるくらいがちょうどいいと、フレイヤはそう考える。

頬を触れる一筋の髪をすくい、耳の後ろにかける。剥き出しの肩は月の光に儚く濡れていた。
時には恋に焦がれる少女のような瞳を浮かべ、フレイヤは愛おしそうにベルへ視線を送り続けた。


「……でも、そうね。『魔法』はそろそろ使えてもいいのかもしれない」


トン、と人差し指をその細い顎に当てて思案する。
首を少しだけ傾け黙考した後、名残惜しそうに眼下のベルから視線を切った。歩み出し、豪奢な絨毯の上を伝いながら部屋の隅に向かう。
フレイヤの眼は他神による【ステイタス】の正体を看破できるわけではないが、色と輝きの具合を見ておぼろげながら当たりをつけることはできる。
見るに、ベルの『魔力』は加算されていない。フレイヤにはそれが少し頼りなく見えた。
早速、“手出し”することにする。


「これがいいかしら?」


部屋の隅に鎮座しているのは本棚だ。幅は広く、高い。フレイヤを容易に覆い尽くすほどに。
彼女の細い指が中段の棚に伸ばされ、ある本の背表紙に引っかけられる。コトンと音を鳴らして倒れ込み、彼女の手の中に収まった。
ぱらぱらと頁をめくり、中身を確認する。
フレイヤは満足そうに頷いた。


「オッタル」

「はっ」


彼女が一つの名を呼ぶと、厳めしい声がそれに応えた。
最初から室内に身を置いていたのか、入口である扉の横に佇立している人物がいた。
錆色の短髪から猪耳を生やした獣人。鍛え抜かれた岩のような体を持つ、二メートルを超す大男だ。
気配を漏らすことなく彫像のように立つオッタルと呼ばれた獣人は、主人であるフレイヤの次の言葉を番犬のように待つ。


「この本を……」


腕を伸ばして本を差し出す格好をしていたフレイヤだったが、開きかけていた口を途中で止めた。
唇を閉じ、腕を戻してその一冊の本をじっと見つめる。


「どうかなされたのですか?」

「……ふふっ、いえ、何でもないわ。今のは忘れてちょうだい」

「は」


短く了解するオッタルからは既に意識を外し、手の中の本に微笑を向けた。
そうだ。剣損に本をわざわざ届けてもらう必要はない。
もしこの偉丈夫が目の前に現れて無言で本を差し出してきたら、あの少年は怯えに怯えることだろう。いけない、笑えてきた。
手渡す必要はないのだ。彼が手にするだけでいい。
“あそこ”へ置いてこよう。
彼を見初め、一方的な出会いを果たしたあの大通り、そこのすぐ側で営まれている“あの店”へ。
あそこへ放置しておけば、後はどうにでも彼のもとへ渡るだろう。
薄暗い部屋の中、フレイヤは従者に見守られながらクスクスと笑みを漏らした。



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