2023.05.02
あれから一日経った。
今の僕の視界には、広い道を埋め尽くさんばかりの亜人達が次々と往来している。
オラリオの北側の区画。北西のメインストリート。
僕は大通りの沿道に設けられた、小ぢんまりとした半円形の広場にぽつんと立っていた。
エイナさんと待ち合わせをしているためだ。
そう、待ち合わせ……。
(こ、これって……デート?)
そんなことあるわけないのに、つい思ってしまう。
昨日、予定を尋ねてきたエイナさんが持ちかけたのは、僕の装備品を一緒に買いに行かないかというお誘いだった。
僕のダンジョン攻略状況と現在の装備を照らし合わせて、今の防具では頼りないと判断をしたらしい。面倒見のいいあの人が、僕のためにわざわざ世話を焼いてくれたのだ。
そう、エイナさんは駆け出しで危なっかしい(らしい)冒険者の僕を見ていられないだけ。
他意なんてない。心配性なあの人の、親切なお節介……。
(……なんだけど、外から見たら、もう……)
形式的には、なり立っちゃう。
朝十時に広場の銅像前集合とか!
二人きりだけとか!
うわー! うわーっ!?
「おーい、ベールくーん!」
「!」
これはデートじゃない決して浮気じゃないヴァレンシュタインさんごめんなさいなんて頭を両手で抱えながら悶々としていると、とうとうその時がきた。
あの鈴のように透き通った声の持ち主が、僕の視界の中、小走りをしながら徐々に大きくなってくる。
「おはよう、来るの早かったんだね。なぁに、そんなに新しい防具を買うのが楽しみだったの?」
「あっ、いや、僕は……!」
――エイナさんと二人きりになることを、変に意識していました。
なんて、はっきりと伝えられない僕は意気地無しなんだろうか。
僕は落ち着かない表情で視線を左右にめぐらせた。
「まぁ、実は私も楽しみにしてたんだよね。ベル君の買い物なんだけどさ、ちょっとわくわくしちゃってっ」
エイナさんの服装はいつもと異なっていた。
普段はギルドの制服である黒のスーツとパンツでぴしっと決めている感じだけど、今日はレースをあしらった可愛らしい白のブラウスに、丈の短いスカート。
ギルドの制服姿を見慣れちゃってるせいか、大人びた雰囲気ががらっと変わったエイナさんは、なんていうんだろ……凄く眩しい。
そう、可愛いんだ。
エイナさんお得意の懸隔の術中に、僕は見事にはまってしまっていた。
「装備品なんて物騒なものを買いにいくのにわくわくするなんて、私おかしいかな?」
「そ、そんなことないですっ!」
僕が慌てて否定すると、エイナさんはくすくすと笑い出した。うわぁ、うわぁー……。
ギルド職員の中でも人気が一、二を争うのも頷けてしまう。いや、他の冒険者が今のこの姿を見たら、もうぶっちぎっちゃうんじゃないだろうか。
ハーフエルフって、どの人もエイナさんみたいなのかな……。
「コホン。それで、ベル君?」
「なんですか?」
「私の私服姿を見て、何か言うことはないのかな?」
悪戯好きな子供みたいな瞳で、上目遣い。
うわぁ、ウワァー……。
「…………そ、その、すっごく……いつもより、若々しく見えます」
「こら! 私はまだ十九だぞぉー!」
「あいたたたたたたたたたったたたっ!?」
エイナさんの細くて白い腕が、僕の頭の付け根あたりに巻き付く。
そのまま脇に抱えられるように締めつけられて……ぐいぐいって、僕の頬が、エイナさんの胸に……。
「ほら、謝れー!」
「や、やめっ、許してくださあああああああああああああああああああああああああいっ!?」
エイナさんの可笑しそうな声音が耳をくすぐる中、僕は思いっきり叫んだ。
「誰かとこんな風に買物に行くなんて、久しぶりだなぁ」
「そう、なんですか? エイナさんなら誰も放っておかないと思うんですけど。……その、男の人だったら、特に」
「ふふ、上手だね、ベル君。でも本当だよ。ギルドに入ってからはずっと仕事一筋だったから」
僕達は今、都市オラリオの中心地に繋がるメインストリートを進んでいる。
空は快晴。絶好のデート日和……なんて言うつもりはないけど、青い空は澄み切っている。気持ちのいい風が漂っていた。
時間帯もあって大通りは賑やか。相変わらず人通りが激しい。商店の大小関係なしに、それぞれの店の店員達が盛んな呼び込みを行っている。ドワーフの地鳴りのような声が強烈。
時にはエイナさんにも声がかけられたけど(僕は下男と間違えられた)、彼女はそれを愛想良く手を振り返してやり過ごす。声をかけてきた獣人の店員は、顔を幸せそうにだらっとさせた。
「あの、エイナさん、どこまで行くんですか? このままだとダンジョンの方まで行っちゃいますけど……」
「着いてからのお楽しみ、だと流石に意地悪かな? うん、じゃあ、教えてあげる」
オラリオには、都市の中央からメインストリートと呼ばれる大通りが方位に合わせて八本伸びている。つまり北、北東、東、南東、南、南西、西、北西の方角だ。都市を鳥瞰すれば、太い四本の線が中央を通り走っていることがわかる。
それぞれのメインストリートが交差する都市の中心地、そこにダンジョンはあった。
ダンジョンに近付くにつれ、客を冒険者に絞ったお店が増えてきて、中でも武器・防具屋の数はすごいことになってくる。僕は当初、その店の内の一つ二つくらいに行くものだとばかり思っていたんだけど……エイナさんは一向に立ち並んでいるお店へ寄ろうとする気配を見せない。
メインストリートが集結する
「今日行くところは……ダンジョンだよ」
「はあ!?」
「正確にはダンジョンの上にある、あの
仰天する僕を尻目にエイナさんは微笑んだ。
『バベル』とは、地中の中のダンジョンの蓋をするように築かれた超高層の塔、つまり先ほどの摩天楼だ。
オラリオの中心にそびえるあの塔は、都市のあらゆる建築物より背が高い。
蓋、と述べたように、バベルの役割はダンジョンの監視と管理。ギルドが保有するこの施設は、冒険者達にとって最も馴染みの深い建物の一つだった。
「バベルって……冒険者用のシャワールームとか、公共施設があるだけじゃないんですか?」
「キミは本当に何も知らないんだね……。でも、まだ冒険者になって一ヶ月も経ってないからしょうがないのかな? じゃあ、今日は役に立つ情報をかい摘んで教えるね?」
――徹底的にダンジョンの知識を詰め込まれた当時の記憶を思い出して、僕は正直なところ、エイナさんのその得意そうな顔に、怯えた。
あの時のようなことにはなりませんようにと祈りながら、彼女の話に耳を傾ける。
「ギルドが所有しているバベルは、ベル君も言ったとおり冒険者のための公共施設という役割がまず一つ。簡易食堂や宿泊施設の他に、換金所もあるなんて知ってた?」
「えっ、ギルドの本部だけにあるんじゃないんですか?」
「ううん、バベルにもちゃんと設置してあるよ。ただ鑑定役員が少ないから、結構順番を待たされちゃうと思うけど……。続けるね? あと一つ、これが今日の目的地でもあるんだけど、バベルは一部の空いているスペースを、色々な事業者にテナントとして貸し出しているの」
「テナント……ですか」
うん、とエイナさんは頷く。
話がちょっと見えてきた。つまり僕達がバベルに向かうのは、その塔の中で営業させてもらっている武具系統のお店に足を運ぶということだろう。
「ダンジョンの真上にあるだけに、出されているお店は全部、冒険者用の専門店。多くが商業系の【ファミリア】だね。バベルにお店が出せるっていうのはそれだけで結構な地位なの。冒険者達は職業柄お金に糸目は付けないから、こぞって事業者達はバベルに出店しようとしてる」
それじゃあ、場所を貸し出しているギルドも相当儲かっているんだろう。
貸し出し有料だよね、当然。
「迷宮にもぐる冒険者達がバベルに求めているのは質だから、事業者達が競い合って出店することで、質が質を呼ぶ形になる。この流れができるようになってから、冒険者達はバベルの中では全幅の信頼を寄せて買物をしてるの」
バベルの外では酷いものを掴まされるのもざらだと、エイナさんは苦笑する。
名前が有名なところ以外は、目利きができもしない限り滅多に行かない方がいいと教わった。
小さな路地に隠れた名店……なんてものに憧れちゃう僕は、やはり騙されやすい鴨なのだろうか?
「【ヘファイストス・ファミリア】なんかは、バベルに出店してるお店の中でもその代表だね。名前くらいは聞いたことあるかな?」
「は、はいっ」
どきっとした。
思わず、今も腰に差さっているナイフを確かめてしまう。
「ベル君は【ヘファイストス・ファミリア】のことについてどのくらい知ってる?」
「えっと、装備品を扱う大人気【ファミリア】で、すごく品の価値が高くて、冒険者なら誰でも欲しがるってことくらいですかね……」
「うん、間違ってはないね。……ちなみに、私達が今日行く予定なのが【ヘファイストス・ファミリア】のテナントだから」
「え、ええぇ~~~~~~~~っ!?」
今日一番の絶叫をした僕を見て、エイナさんはまた悪戯に成功した子供のような笑みを浮かべた。
路上で突然叫んだ僕に周りの人達の視線が突き刺さるけど、こっちはそれどころじゃない。
どういうことですか、と慌てて詰め寄ろうとしたら、エイナさんは気まぐれな妖精のように僕をひょいっとかわして、そして一気に開けた視界の中へ足を踏み入れた。
「つ、着いちゃった……」
セントラルパーク。
天を衝かんばかりの巨塔、バベルをぐるっと取り囲む円形の大区画。ところどころに緑木が植栽されたり噴水が設置されていて、公園という呼び方もあながち間違いでもない。
パークの縁、つまり円形の外縁を形作っている商店は、どれも派手な看板を掲げている。店の前のいくつもの人だかりは繁盛の証だろう。目に見えて多い店の種類は、これぞと言わんばかりの大きな酒場。
ここまで来る途中のメインストリートは冒険者や市民が関係なく入り混じっていたけど、このセントラルパークは大きな剣や槍、ほか様々な得物を携えた冒険者達がほとんど。恐ろしいのはこの目眩のするような人の数をもってしても、全くこの場所が飽和する気配を見せないということだ。
まだ小さい亜人の子供達が、ベンチに座りながら彼等を見てきらきらと目を光らせている。
「エイナさんっ、どういうことですか!? 僕、【ヘファイストス・ファミリア】で買物できるような大金、持ってないですよ!」
「まぁまぁ、それは着いてからのお楽しみってことで」
「僕はずっとハラハラしっぱなしですよぉ!?」
にこにこと笑っているエイナさんは泣き叫ぶ僕を見てもどこ吹く風。歩く速さをちっとも緩めようとしてくれない。
逆にだんだん置いてかれていく形になる僕の手を、その細い指でぎゅっと握ってきた。
僕の頭は真っ白になる。
「いいから行くよ! 男の子なんだからぐずぐず言わない!」
赤くなって呆然とする僕はエイナさんにずるずると引っ張られていく。
柔らかい手は、以前から畑仕事をしていてすっかり硬くなっている僕の手とは対照的で……温かくて、くすぐったい。
頭がくらくらして思考がおぼつかなくなってくる。
けれど、雑踏を縫っていくうち、これからさぁダンジョンにもぐろうという男の冒険者達から、「殺スゾ」という視線を一斉に浴びた。
僕は蒼くなってかえって落ち着くことができたのだった。