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2023.09.07

ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか 理想郷譚プロトタイプ
第34話
リセット②

「シルさんはいますかっ!」

「おおう、少年じゃニャいか。おっはー、ニャ」


酒場『豊饒の女主人』の店先で、掃除をしているキャットピープルの店員さんに声をかける。
店員さん――確かクロエさんは、尻尾をにょろにょろ振ってニヤニヤと笑いかけてきた。


「何ニャ、何ニャ? 挨拶も忘れてシルを呼べだニャんて、朝っぱらから何をやらかす気――

「シルさんを呼んでくださいっ!!」

――ニャア!? わ、わかったニャ!?」


僕の剣幕と切羽詰まった叫び声に、クロエさんは飛び上がる。
こちらの様子にただならぬものを感じ取ったのか、慌てて店の中へ駆け込んでいった。ドアの鐘がピシャリと鳴る。
時間を置かずクロエさんは扉から顔だけ出して、ちょいちょいと手招きした。未だ準備中の店内に踏み入る。


「おはようございます、ベルさん。どうかしたんですか?」

「シルさん!」


ぱたぱたと小走りで厨房の方から出てきたシルさんは、急いで来たのか木造りのトレイを手に持ったままだった。
僕は詰め寄ってことのあらましを説明する。
ちょっと戸惑い気味に笑みを浮かべていたシルさんは、話が進むうちに目を丸くし、そのうちいよいよ顔色を変え出して……僕が言葉を終える頃には、いつぞやのようにそっと目を逸らした。


「……それは、大変なことをしてしまいましたね、ベルさん」

「ちょっとシルさーんッ!? 何でさも他人ごとみたいに言ってるんですか!?」


また棒読みしてるし!
不自然なその態度に僕は声を散らした。僕を生贄の羊として差し出す気ですか、と。
シルさんは手にしているトレイを首の辺りまで持ってくると、顔の下半分を隠し、上目遣いで僕を見つめてくる。


「やっぱり、ダメですか?」

「すっごく可愛いですけどダメですッ!」


顔を赤くしながらシルさんの哀願を両断する。本当にいい魔女してるよなぁこの人!
そうこう僕達が問答を繰り広げていると、騒ぎを聞きつけてか、なんと女将のミアさんが姿を現した。
ドワーフの中でも巨体を誇るミアさんは、僕の手の中から本を抜き取って、パラパラと中身を確認する。


「ん、確かにグリモアだねえ……でもま、読んじまったもんは仕方がない。坊主、気にするのは止しな」

「ええっ!? で、でもっ……」

「こんなものを“どうか読んでください”とばかりに店へ置いていったヤツが悪い。坊主が読まなくたって、貴重な魔導書を見つけたら、自分が持ち主だと嘘をついてまで誰かが目を通していたよ。コレはそういうモンさ」


妙に説得力のある言葉に僕は口を閉じざるをえなかった。
ミアさんは、ふんと鼻息を鳴らす。


「手放しちまった時点でコレの持ち主も覚悟はしているさ。坊主だって金の詰まった財布を無くしたら、そっくりそのまま返ってくるなんて思わないだろう?」

「それは……」

「そういうことだよ。気にするだけムダムダ。得したくらいに思って、さっさと忘れちまいな」


ミアさんは堂々とそう言ってのけてしまった。
僕が隣のシルさんを見ると、彼女も困ったような顔で苦笑して、首を横に傾けている。
いまいち煮え切らないというか、悪いことをした後のしこりのような物が残っているというか、とにかく僕が後味悪そうな顔をしていると、ミアさんはジロリと睨んできた。
曰く、「男だったらグズグズ言ってんじゃないよ!」。
もう普通に叩きつけられた大声に、僕は反射的に直立不動をして「はいぃ!?」と了解してしまった。

のっしのっしカウンターの奥に消えていくミアさんの背中を見送って、肩の緊張を解く。
本当にこれでいいのかなぁ……。
手を頭にやりながら、僕はちょっと複雑な気分だった。


「おーい、シルー。お弁当を忘れてるニャー!」


と、これまでのやり取りに気付いていなかったのか、キッチンの方からキャットピープルのシェフがバスケットを持ってやって来た。ちなみにクロエさんではない。
ここのお店ってキャットピープルが多いなぁ、なんてぼんやり考えていると、そのシェフは、僕達の目の前で見事に後ろ足を前足に引っかけて――宙を飛んだ。


「え゛」

「あっ」

「ニョ!?」


何でもないところでずっこけた、と僕が衝撃を受けている間にも、シェフとバスケットは床に吸い込まれていく。
シルさんの心情を一言で表している呟きが虚しく響く中、ゆっくりとバスケットはその中身をぶちまける――


「世話をかけさせないで欲しい」


――ことはなかった。
リューさんがバスケットを見事にキャッチし、寸前で阻止したのだ。


「ふおおおっ! リュー、マジ助かったニャー! あのままだったらミャーはシルにフルボッコにされてたニャー!」

「そんなことしませんっ!」

「メイ、貴方はあまり動かない方がいい。持ち運ぶのは私達に任せて、美味しい料理を作っていてください。……あんまりな言い方ですが、貴方が動くと私達の仕事が増える」


シルさんと同じ若葉色のワンピースとサロンエプロン。
ふわりとスカートを膨らませる細身のエルフは、バスケットの他にも自分と同じ体格のキャットピープルを片手で抱え込んでいた。
どこにそんな力があるのか、両手が塞がっていても体のバランスは少しも崩れていない。
いやそれよりも――“速かった”。
虚を突かれたといっても全く反応できなかった僕と違って、リューさんはまさに風のように颯爽と対応してみせた。
その流麗な身のこなしに鳥肌が立つ一方で、僕は時間が立った今でも目が奪われたままだった。


「シル、どうぞ」

「ありがとう、リュー」


バスケットを手渡すシルさんとリューさんを視界に、僕は『この人にならもしかして……』と少し自分勝手な希望を抱いてしまった。
見た限り【ファミリア】に所属していない……【ファミリア】に関する目立った活動をしていないこの人になら……戦い方を教われるかもしれない。
あわよくば、僕達の【ヘスティア・ファミリア】に……。

少し目論みめいたことを考えているのを自覚しながら、僕はごくりと喉を鳴らして、一先ずリューさんに尋ねることをしようとした。


『ウニャァー!? リュー、助けてニャー!?』

『皿がっ、皿の塔が崩れるニャー!! バベルしちゃうニャー!』

『誰が上手いこと言えって言った! ちょ、リュー、ごめんっ本当にヘルプー!?』

「……やれやれ」


しかし僕の声は、出番を失ってしまった。
リューさんは軽い溜息をついて、タンッ! と足を鳴らす。
一跳躍でカウンターを軽やかに飛び越えてしまい、慌ただしいキッチンの収拾へ向かった。シェフのキャットピープルも急いでその後を追う。転んだ。
僕とシルさんだけがその場に取り残された。


「……えーと」

「あはは……リューはすごい動けるから、みんなに頼りにされてるんです」


だろうなぁ、と僕は心の中で相槌を打った。
前に起きた路地裏での出来事も知っているだけに、荒事でも何でも、彼女一人がいれば片がついてしまうように思える。


「あの、シルさん。リューさんは、その、冒険者だったりするんですか……?」

「はい、そうだったみたいです。ちょっと今は……所属していた【ファミリア】から独立しているんですけど……」


ミアさんと同じってことかな?
以前に聞いた、この店の従業員は多くがわけあり、というシルさんの言葉を思い返す。


(時間は……ないか)


壁に設置されている時計を見て、リリとの待ち合わせが近付いていることを確認する。
今日はちゃんとダンジョン探索に合流する筈だから、遅刻して向かうのは悪い。
リューさんとちょっと話し合ってみたかったんだけど……。


「どうしたんですか、ベルさん?」

「いやぁ……リューさんって、冒険者とし僕よりずっと強そうなので、もしよかったら色々教えてもらおうかな、なんて……」

「……」


ついつい胸の内を喋ってしまった僕を、シルさんはじっと見つめてきた。
こちらの心を見透かすかのように視線を向けていたかと思うと、次にはにこっと微笑む。


「私がリューに言って、話をつけておきましょうか?」

「えっ?」

「色々あって、リューはそういうことに対して少し気難しいところがあるんですけど、私からお願いすれば多分聞いてくれると思います。ベルさんに不都合がないようなら、どうでしょう?」


ちょっと、揺れた。魅力的な案に聞こえたのだ。
シルさんの話が確かなら、リューさんに約束を取り付けるにはこれ以上効果的なことはないのだろう。
正直、非常に助かる申し出だけど……


「……ありがとうございます。でも、やっぱり自分の口で言います。こういうの、人に任せちゃいけないことだと思いますから」

「……そうですか。ベルさんがそういうなら」


すいません、とせっかくの親切を断ってしまったことを謝罪する。
シルさんは何でもないように許してくれた。


「じゃあ、事情だけはリューに話しておきます。ベルさんが冒険者として指導を受けたいって」

「何から何まですいません、本当にありがとうございます。じゃあ、僕はこれで」

「ベルさん」

「はい?」

「今日も、受け取ってもらえますか?」

「……い、いただきます」


照れ臭さそうな笑みと一緒に両手で差し出されるバスケットを、どもりながら受け取った。
僕はいつもこのたんびに気恥かしい思いをするけど、シルさんもまた、この時は本当に嬉しそうだった。
何ていうか、普段とは違って素のままの喜びを滲ませているような……いや、いつもは喜んでいないっていうわけじゃないんだけど……何だろう、上手く言葉では言い表せない。

僕は赤くなりながらもう一度感謝を告げ、今度こそ『豊饒の女主人』を後にした。
一旦ホームに戻って旧魔導書を置き、装備品を身につける。
神様に一部始終を説明してから、「いってらっしゃい」と穏やかな声で送り出された。
本日行ったり来たりばかりしている北西のメインストリートを進み、人ごみに紛れている他の冒険者達がそうするように、中央広場セントラルパークへ出る。
晴れ渡る空の下、今日も広大な円形広場は、完全武装した戦士達で賑わっていた。


(まだ来てないのかな……?)


いつもなら、僕がやって来るメインストリートの正面……北西の位置にあたるバベルの門にリリは立っているんだけど、視界の中にはそれらしきパルゥムはいない。
珍しいなと思いつつ門の前まで赴こうとすると、その途中、ある光景が偶然目に入った。
広葉樹がぽつぽつと等間隔で植えられた中央広場の一角。
木洩れ日に濡れ、そよそよと葉が風に揺れる気持ち良さそうな木陰に、リリと冒険者らしき男達がいた。
大の三人の男が小さなリリを取り囲んでいる。彼等はすごい形相で何事かを言い放っていて、リリの方はというと必死に顔を横に振っていた。決していい雰囲気じゃない。
もしかして、【ソーマ・ファミリア】の構成員達?
僕は泡を食ってそちらへ向かった。他【ファミリア】の事情に干渉するのはご法度なんて、もう言ってられないっ。見過ごせない!


「……いいからっ……寄越せっ!」

「もうっ……ない……ですっ! 本当に……!」


言い争っている声が届いてくる。
僕は彼等の死角となっている広葉樹を避けて、すぐさまその場に飛び込もうとした。


「おい」

「!」


けれど、突然。
僕の行動を邪魔するかのように肩を掴まれる。
驚きに見舞われながらばっと振り返った。
男の冒険者。長大な剣を背中に装備した、体格のいい黒い髪のヒューマンだ。


(って、この人……)

「やっぱりあの時のガキか……まぁいい、聞くぜ。お前、あのパルゥムとつるんでんのか?」


この声と口調、間違いない。
結構前に路地裏で出くわした、あの冒険者の男だ。


「オイ、さっさと答えやがれ。お前、あのパルゥムを雇ってんのか?」

「……あの子は、貴方が追いかけていたパルゥムとは違う子ですよ」


苛ついた表情をする目の前の青年に、僕は咄嗟にそう答えていた。半ば反射的だったと言っていい。
勘違いしないでください、とそう言ったつもりだったけど……男は唇を歪めて、嘲笑った。


「バァカ……と言ってやりてえが、思うのはてめえの勝手だな。せいぜい間抜けを演じてろ」


吐かれた暴言に思うことはあったけど、それよりその口振りが気にかかった。
まるで僕は騙されているというような指摘。この人の言葉を鵜呑みにするわけじゃないけど……。
僕が怪訝そうな顔をしていると、男は嘲笑を引っ込め顔付きを改めた。


「それよりお前、俺に協力しろ。……あのパルゥムを嵌めるんだ」

「なっ……」

「タダとは言わねえよ。報酬は払ってやるし、アイツから金を巻き上げられたら、分け前もくれてやる」


男は本気でそう言っているようだった。
僕はいきなりのことに言葉を失ってしまう。


「お前はいつもを装ってあのパルゥムとダンジョンにもぐればいい。後は適当に別れて、アイツを孤立させろ。後は俺がやる。どうってことはねえ、簡単だろ?」


口の端を裂いて男は思いっきり笑った。
嫌な笑い方。僕がこれまで触れたことのない、卑劣な臭み。
寒気と嫌悪が体中を駆け巡る一方、僕は、拳を一杯に握りしめていた。


「何で、そんなことを言うんですかっ……?」

「ああ? うるせえよ、てめえは素直にハイって頷けばいいんだ。たったこれだけで金が手に入るんだ、上手い話じゃねえか」


はっ、と男は大きくせせら笑った。


「よぉく考えろ。アレは“ただの”サポーターだぜ? 大した役にも立ちはしねえ能無しが居なくなったって、痛くも痒くもねえだろ? 搾れるだけ搾って、後は捨てちまえばいい」


沸点が限界を越えた。
瞼の裏が熱い。
あの路地裏の時とは違う。怖気づく暇もなく、決定的な怒りが僕の体を占領した。


「絶対にっ、嫌だッ……!」

「クソガキがぁ……!」


男も顔を歪めて凄味を利かせてくるけど、僕も眉間にありったけの力を入れる。
剣呑な空気が僕達を包み込む。充満する怒気に怯えるように、頭上で広がっている木の枝葉がざわざわと揺れた。
しばらく睨み合いが交わされ、やがて男は大きな舌打ちをして踵を返す。
目元に固まる険を取り除けないまま、僕は遠ざかっていくその背中を見続けていた。


「……ベル様?」

「!」


背後からの呟き。
吸い込まれるようにそちらを見ると、すぐ後ろでリリが呆然と僕のことを見上げていた。
それまで燃えていた感情が萎え、僕は不意の出来事に取り乱す。


「リ、リリっ? いつからそこに?」

「……ちょうど今ですけど……あの冒険者様と、何をお話していらっしゃったんですか?」

「えーと……いやぁ、ちょっといちゃもんをつけられちゃって……」


頬をかきながら何とか出まかせを口にした。
目の前の本人を陥れるための交渉だなんて、言える筈がない。
胸中穏やかじゃない僕のことをじっと見るリリは、口を引き結んで少し暗い表情をしている。


「そ、そうだっ! 何だか絡まれていたみたいだけど、リリは大丈夫だった!?」

「見ていらっしゃったんですか……。安心してください、リリはこの通り無事ですから」


リリはくるりとその場で回り、最後にフードの下で微笑んだ。
乱暴された跡はなかったので僕も安心する。
何かを取られたということもなく、本当に危害は加えられなかったようだ。


「リリ、あの人達は……」

「シシシシッ。私もベル様と一緒でいちゃもんをつけられてしまいました。リリもベル様も、やはり弱っちく見えてしまうんでしょうか?」


僕の声は遮られた。
冗談を織り交ぜながらニコニコと笑うリリは、あきらかにこれ以上の言及を拒んでいる。


「さぁ、行きましょうベル様。リリは昨日付いていけなかったので、今日はベル様のご活躍を期待させてもらいますよ?」


僕の脇を通ってリリはバベルへ足を向けた。
こっちに振り返ってみせると、揺れる前髪からのぞく大きな焦げ茶色の瞳が、何事もなかったように目尻を緩ませている。
僕もそれ以上は何も言わなかった。口を閉ざし、黙ってリリの後を付いていく。
今は前を向いてしまったリリがどんな顔をしているのか、騒がしい雑踏に耳を塞がれながら、僕はずっと考えていた。


「……もう、潮時かぁ」



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