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2023.08.03

ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか 理想郷譚プロトタイプ
第29話
魔法は膝枕を喚ぶ魔法⑤

「ベル様、いけません!? 足元っ!」

「えっ?」


リリの悲鳴が僕の耳を殴った。
《神様のナイフ》を手に『キラーアント』へ飛びかかろうとした僕は、突然の警告に間抜けな声をこぼす。
現在の居場所は7階層。時刻は正午を回ろうかというところ。
もはや自分の庭と自惚れていいほど慣れ親しんだこの場所で、僕は、状況の把握ができなかった。


『ピィイイイイイイッ!!』

「!?」


秒を待たず、僕はリリの警告の意味を悟る。
『ニードルラビット』。
額に鋭い角を生やした兎のモンスターが、僕の視界の死角から地を這うように迫っていた。
ギラリと光る赤色の突起。ドロップアイテムとして武器の材料に重宝されるその角に突かれれば、まず致命傷は免れない。
真っ赤な目をぎらつかせながら、ニードルラビットは僕の左足を狙っていた。


「ッ!」


咄嗟に足を折り曲げる。ちょうど軸足だったため回避はかなわない。
ニードルラビットの攻撃が膝当てに向かうよう調整する。
僕の下半身で防具を装着しているのは膝の部分のみ。スピードを重視した軽装の設計故に、他の部分は完全に生身だ。
寸分違わず一角獣の奇襲は膝当てに誘導された。
ガキンッ! と甲高い金属音とともにニードルラビットとすれ違いになる。骨の芯に伝わる痛打。
勿論、僕はバランスを失った。


「シャアアアアアアアアアアッ!」


見越していたかのような、最悪のタイミング。
本来の目標だった『キラーアント』が僕に襲いかかる。しかも、二匹。
『キラーアント』はこの数日で何十回何百回と戦った相手だ。中には四対一で交戦することもあった。
今更二匹――と、侮ったのが仇。
僕の目に、容赦なく薙がれた三本の鉤爪が飛び込んだ。


「ぎっ!?」

『グシャアアアアアアア!!』


左腕に装備した《グリーン・サポーター》を顔面のすぐ横に構え攻撃を防ぐ。
毎度のことながらプロテクターには損傷はない。けど、途方もない衝撃が僕の左腕を貫き、更に全身を真横に吹き飛ばす。
軸なんてもうとっくにブレてる。転倒こそしなかったものの、足が盛大に踏鞴を踏んだ。
そして追い打ちをかけるように、残ったキラーアントが突撃を仕掛けてきた。


――まずっ)


組みつかれる。体当たりの勢いのまま押し倒されたら最後、僕はあの六本の多足に組み敷かれ、脱出できないまま爪で八つ裂きにされるだろう。
硬殻を備えた『キラーアント』はそれほどまで重い。また脱出に手間取れば、そこへ仲間が二匹三匹とたかってくる。それこそ羽を失った蝶に群がる蟻のように。
エイナさんに厳重注意された事項。体格の細い僕じゃあ、組み敷かれるのは詰みに等しい。


――ぁ)


二回目。
『ミノタウロス』と同じ、避けられない最期を予感した瞬間。
体が戦慄と恐怖に抱きしめられ竦む。呼吸も止まる。時間はゆっくりになる。
口腔をがぱっと開け醜悪な面を晒すモンスター。唾液は滴り、気持ち悪い歯並びが鮮明に見える。
思考に空白が生まれ、自分のもとに向かってくる蟻の光景を、ただ受け入れるだけの存在となった。


「ダメーーーっっ!!」


リリの高いかけ声と炎の塊が真横から飛んできたのは、その直後のことだった。


「っ!?」

『ヅギャアアアアアアアアアアアアアア!?』

「ベル様ぁ!」


炎塊が頭部に被弾し悶え苦しむ『キラーアント』を前に、僕の体は速攻で再起動する。
リリの叫びにも押される形で、右手に持った《神様のナイフ》を閃かせた。


『ギュ!?』

「うあああああああああああああっ!!」


サンッ! と快音を鳴らして燃える『キラーアント』の首を飛ばし、二匹目、動転するソイツにも一撃必殺を見舞った。
相手の胴が二つに割れる。僕はその光景を最後まで見届けることなく、視界を反転。
今まさに跳躍した『ニードルラビット』に、抜き放った《短刀》をカウンターの要領で打ち込んだ。


『ピ、ガァ……』

「……っ、は!」


このルームにいたモンスターの最後の一匹を仕留め、溜め込んでいた息を一気に吐き出す。
ぶわっと嫌な汗が今更になって吹き出して、僕は中腰になって顔を拭った。
今のは、ヤバかった。
胸の中で暴れる心臓の音を聞きながら、荒くなっている呼吸をしばらく野放しにする。


「ベル様、無事ですか!?」

「……リリぃ~。ありがとう、助かったよぉ」


駆け寄ってきたリリの姿を見てとうとう僕は脱力した。
へなへなと腰を下ろして尻餅をつく。
首をがっくりと折って、土色のダンジョンの地面を見るわけでもなく眺めた。


「今のは不用意でした! 確かに意地悪な状況でしたけどっ、ベル様にも非がありますっ!」

「ごめん……。返す言葉もないよ……」


油断、してた。
いや慢心か。
二体なら『キラーアント』を瞬殺できると高を括ってた。教科書通りに……エイナさんに言われた通りに一匹ずつ相対していれば、例え『ニードルラビット』に襲われていても、こんなことにはならなかった筈。
痛感した。ダンジョンの怖さ。“絶対”なんてない。
一歩間違っていたら、リリがいなかったら、本当に死んでいたんだ。
ぶるり、と体を震わせて、僕は今回のことを教訓として肝に銘じる。舐めた判断は即命取りだ。
ガミガミと散らされるリリの声を半ば聞き流しながら、長い息をついた。


「聞いているんですか、ベル様!」

「あぁ、うん、ごめん……反省してるよ。もう絶対あんな真似しない……」

「……確かに反省しているようですね。それだったら、リリはもう何も言いません。これで学ぶことがなかったら、それはベル様の責任です」

「うん、わかってる」


同じ轍は踏まないことを約束して僕は立ち上がった。
もう一度リリにお礼を言おうとして、そこで「そういえば」とさっきの出来事を振り返る。


「リリ、今さぁ、魔法使ったよね?」

「……はっ!?」


僕の指摘にリリは揺れた。
右手に持っていた小さな紅のナイフ、それを慌てて背に隠す。


「今のって、もしかして『魔剣』? あぁ、それで助けてくれたんだ。……本当にありがとう、何だかすごく嬉しかったよ」

「……っっ! べ、別にベル様を助けようとしたわけじゃないんですからねっ! ベル様がいなくなったらリリの収入が減るからこうしたまでです! か、勘違いしないでくださいっ!」

「……なに言ってるの、リリ?」


めちゃくちゃ対応に困る発言に僕がめちゃくちゃ困った顔をしていると、リリはハッと目を見開いた。
頬を赤らめながら「リリは一体何を言ってしまっているんですか……?」と頭を両手で抱え始める。
ううん、流石にフォローもできない……。


「えーと……リリって『魔剣』を持ってたんだね?」

「は、ははははっ。ええ、ちょ、ちょっと色々あって、リリのもとに転がりこんできて……」

「へぇ。でも確かそれ、使い過ぎると壊れちゃうんでしょ?」

「そうですね、リリはここぞという時しか使わないようにしています。でも、ベル様のためならリリは出し惜しみなんかしませんよ!」


……うん、さっきの発言とは真逆のこと言ってるね。
別にいいけどさ。

それから僕達は、空腹感も手伝ってお昼をとることにした。
リリがモンスター達の死骸を片付けた後、ルームの中央に陣取る。
壁際だと生まれたばかりのモンスターにガブッとやられる危険があるから、大抵ダンジョンで休息を取る時はこの位置で行う。
この空間は広いから、出入り口からモンスターが現れても不意打ちをされることはまずない。


「おや……? シシシシッ、ベル様、今日はお弁当を貰えなかったところを見ると、例の女性の方と喧嘩でもしてしまったんですかぁ?」

「ううん、ちょっとお店に顔を出してる暇がなくて……昨日のバスケットも返してないんだ」

「ふぇ? そうなのですか?」


僕がシルさんからお昼ご飯を受け取っていることを知っているリリは、埋め合わせの食料品を口にしているのを見て悪戯っぽく笑ったけど、すぐにきょとんとする。
昨日は夜遅くて返す暇はなかったし、今朝は寝坊がたたって『豊饒の女主人』には立ち寄れなかった。
既に待ち合わせ時間には遅刻していたから、リリを待たせるわけにもいかなかったのだ。
今日はちゃんと返しにいかないとなぁ……。

それから僕達は談笑に興じた。ダンジョンは静かなもので、モンスター達も現れる気配を見せない。
ころころ笑顔を浮かべるリリの顔を窺いながら、僕は機を見計らい、ずっと考えていたことを思いきって切り出してみた。


「そういえばリリ、昨日【ファミリア】に戻るって言ってたけど、何かあったの?」


さも何でもないように尋ねたつもりだったんだけど、リリは一瞬顔を硬くさせた。
すぐに取り繕って笑顔に戻ったけど、どこかぎこちない。
やっぱり、触れなかった方が良かったのかな……。


「シシシシッ。どうしてそんなことを聞くんですか、ベル様?」

「えっと……リリと【ファミリア】の人達の関係が悪そうだったから、その、気になっちゃって……ゴメン」


僕が反射的に謝ると、リリは眉尾を下げて笑った。


「お心遣いありがとうございます、ベル様。でも大丈夫です、ベル様が心配しているようなことは一切起きていませんから」

「本当?」

「ええ、本当です。昨日は一ヶ月に一度の、【ソーマ・ファミリア】の集会があったんです」

「集会って……?」

「……シシシシッ。話が長くなるので省きますが、要はこれだけのお金を来月に稼いでこいっていう、お触れみたいなものですね。各構成員ごとに見合った額を定められるので、みんなちゃんと集まらないといけないんです」


【ファミリア】の運営費、ということだろうか。
各構成員の実入りから資金を徴収することは、【ファミリア】に入っているならある意味当然のこと――僕の考えからすると自分の住む家を支えるってこと――だから、何もおかしいことじゃない。


「でも厳しいんだね、個人個人にノルマを決めてるなんて。稼ぎが少ない人はかなり大変のような……」

「そうですね……リリもそう思います。サポーターとか、芽のない冒険者は、特に……」


あ、と僕は目を見開いた。
確信には届かないけど、小さな納得を手にしてしまう。
リリが前にあんな含みのある皮肉めいたことを言ったのも、お金が必要だったから……?
もしかしたら【ファミリア】の人達と上手くいっていないのも、お金の折り合いにあるのかもしれない。

僕は慌てて気になったことを聞いた。「ノルマを守れないとどうなるのか」と。
リリは僕の心を見透かしたように笑い、顔を振って「特に何もありません」と答えた。

つまり罰則は無し……馬鹿みたいに安堵したいけど、リリの頭の傷が脳裏にちらついてそれもできそうにない。
リリの言葉は信用したいけど……。
眉間に皺を寄せて難しい顔をしていると、リリが申し訳なさそうにぺたりとフードの上を撫でた。って、申し訳なさそう……?


「……あ、あのさっ。僕聞いたんだけど、【ソーマ・ファミリア】ってお酒も販売してるんだよね?」


居たたまれない空気が流れ出したので、強引に話題の方向転換を計った。
僕は下手くそな笑顔を浮かべる。


「ああ、あれは……失敗作です」

「……しっぱい? ……え、ええっ?」

「本来作る予定だったお酒の製造工程で漏れたものを、適当に市場に回しているんです。捨てるのももったいないので」


ちょっと待って。
確かエイナさんの話だと、【ソーマ・ファミリア】のお酒はすごく美味しくて、需要も高いって……。
消費者の中には専門家マニアとかそっちの方面の人もいるわけだから……そんな人達の舌も唸らせるほどの……失敗作?
どんな失敗作なんだ、それって。
僕が戸惑いを隠せないでいると、リリは、ちょっと翳りのある苦笑いを浮かべた。


「“失敗作ですら”それほどまでの美酒、ということです」


それはもう、失敗っていう言葉は当てはまらないんじゃあ、と僕は無意識に喉へ手をやりながら思った。
いや、だったら、その“完成品”っていうのは……?


「リリ達の主神であるソーマ様は、他の神様達はおろか、何物にも全く興味を示さないのですが……一つだけ、関心を払っていることがあります。それが、お酒の製造です」

「……」

「ソーマ様の絶対唯一の“ご趣味”なので、脇目も振らず没頭していまして。ソーマ様が【ファミリア】を作った目的は……【ソーマ・ファミリア】の存在意義は、その“ご趣味”のためにあると言っても過言ではありません」


構成員にノルマを与えて資金を集めるのも、原材料費や製造過程で大量の出費がかさむから、らしい。
神様が“趣味”のために【ファミリア】を作る、あるいは【ファミリア】を利用するっていうのは珍しい話ではないと思う。
娯楽を絶えず求めている神様達のことだから、生活水準を確保する以外にも、道楽の一環が含まれているのは十分に理解できる。事業をおこしている神様達っていうのも、それは好奇心に似た意欲に端を発している筈だから。
でも……何だろう、【ソーマ・ファミリア】に対する違和感が払拭しきれない。
リリの境遇に触れているから神経質になっているだけかもしれないけど、【ソーマ・ファミリア】が歪なものに見えてしょうがなかった。
『死に物狂い』。
『生き急ぐ』。
『必死』。
あの時そう言っていたエイナさんの表情と声音が、僕の頭の裏側を過った。


「あ、あはははっ……そ、そんな美味しいお酒なら、僕も飲んでみたいかな……?」


表情が硬くなってしまいそうだったので、それまでの話に乗るように冗談を口にする。
リリはそんな僕を見て、消え入ってしまいそうに、小さく笑った。


「やめておいた方がいいと思います……」

「……」


ぽつりと呟かれた言葉を最後に、僕達の会話は途切れた。
話しかける踏ん切りもつかず、そんな風にもたもたしているうちにモンスターが現れ、僕達は選択の余地もなく戦闘に臨んだ。
リリはすぐにいつもの雰囲気に戻り、僕も内心はともかくそれに応じる。
まだ溝は埋まっていない。
埋まるのかもわからない。
僕はそれを強く実感してしまった。
何もできない弱い自分をまた見せつけられたようで、無性に情けなくなった。



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