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2023.03.16

ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか 理想郷譚プロトタイプ
第9話
だから僕は走る⑤

「そうそう、アイズ! お前のあの話を聞かせてやれよ!」

「あの話……?」


アイズという言葉が彼等の間からあがる度に体を硬直させてしまう。
どうやらヴァレンシュタインさんから見て、二つほど離れた左前の席の獣人の青年が、彼女に何かの話をせがんでいるようだ。
……あんなイケメン、許されていいのか。


「あれだよ、帰る途中で何匹か逃がしたミノタウロス! 最後の一匹お前が5階層で始末しただろう! そんで、ほれ、あん時いたトマト野郎の!」


――これまでとは違う意味で、心臓が平静さを失った。
うって変わって頭の中は凍りついたかのように動きを止める。


「ミノタウロスって……16階層で襲いかかってきて返り討ちにしたら、集団で逃げ出していった?」

「それそれ! 奇跡みてぇにどんどん上層に上っていきやがってよっ、俺達が泡食って追いかけていったやつ! こっちは帰りの途中で疲れていたってのによ~」


ダンジョンは行きが自分の足なら、帰りも自分の足で階層を上っていかなければならない。
目的地の階層へ直通させるなんて便利な方法はないから、僕達冒険者は到達階層を増やす度に、何度も何度も同じ場所を往復することになる。
だからよっぽど深い階層に向かう時は行きの準備と帰りの準備、両方を充実させていかなければならない。行くだけ行って力つき、帰れなくなってしまったでは目も当てられないからだ。
深層へ向かう【ファミリア】では、豊富な人員と物資、そして帰還のタイミングを見極めるリーダーの存在が重要になってくる。

今までの聞いた情報をまとめると。
深層まで『遠征』していった彼等【ロキ・ファミリア】は。
帰路の際に遭遇したミノタウロスの群れを仕留め損ね。
何とかそれを追いかけていき、最後の一匹を5階層へと追い詰めた後。
ヴァレンシュタインさんが、とどめを刺した。
そして、その場にいたのが――


「それでよ、いたんだよ、いかにも駆け出しっていうようなひょろくせえ冒険者ガキが!」


――僕、だ。


「抱腹もんだったぜ、兎みたいに壁際へ追い込まれちまってよぉ! 可哀相なくらい震えあがっちまって、顔を引き攣らせてやんの!」


全身が発火したかのようだった。
熱くない箇所が見つけられないくらい、体の奥から燃え盛る。


「ふむぅ? それで、その冒険者どうしたん? 助かったん?」

「アイズが間一髪ってところでミノを細切れにしてやったんだよ、なっ?」

「……」


歯と歯が噛み合わない中、神経が千切れそうなほど首の筋肉を酷使して、あの人の方を見やる。
あの人は、僅かに眉を顰めていた。


「それでそいつ、あのくっせー牛の返り血を全身に浴びて……真っ赤なトマトになっちまったんだよ! くくくっ、ひーっ、腹痛えぇ……!」

「うわぁ……」

「アイズ、あれ狙ったんだよな? そうだよな? 頼むからそう言ってくれ……!」

「……そんなはず、ないです」


獣人の青年は目元に涙をためながら笑いをこらえ、他のメンバーは失笑し、別のテーブルでその話を聞いている部外者達は、つられて出る笑みを必死に噛み殺す。


「それにだぜ? そのトマト野郎、叫びながらどっか行っちまって……ぶくくっ! うちのお姫様、助けられた相手に逃げられてやんのおっ!」

「……くっ」

「アッハハハハハハハハハハハッ! そりゃ傑作やぁー! 冒険者怖がらせてまうアイズたんマジ萌えー!!」

「ふ、ふふっ……ご、ごめんなさい、アイズっ、流石に我慢できない……!」

「……」

「ああぁん、ほら、そんな怖い目しないのぉ! 可愛い顔が台無しだぞー?」


どっと笑い声に包まれる【ロキ・ファミリア】の人達。
反対に自分のいる場所は大きな穴が空いてしまったかのようで。
あちらとこちら、まるで世界が隔たったかのようだった。


「ベ、ベルさんっ……?」


隣から女の人の声がするけど、頭を素通りする。
そして彼等はまたにわかに騒ぎ出して。


「しかもそのトマト野郎……漏らしちまってよ? 水たまりできてたぜ?」

「……あらぁ~」

「ほんとネタだよな。ったく、漏らしちまうくらいだったら最初から冒険者になんかなるんじゃねーっての。ドン引きだぜ、なぁアイズ?」

「……」


頭の片隅が、削れていく音がする。


「ああいう奴がいるから俺達の品位が下がるっていうかよ、勘弁してほしいぜ」

「いい加減そのうるさい口を閉じろ、ベート。ミノタウロスを逃がしたのは我々の不手際だ。巻き込んでしまったその少年に謝罪することはあれ、酒の肴にする権利などない。恥を知れ」

「おーおー、流石エルフ様、誇り高いこって。でもよ、そんな救えねえ奴を擁護して何になるってんだ? それはてめえの失敗をてめえで誤魔化すための、ただの自己満足だろ? ゴミをゴミと言って何が悪い」

「これ、やめえ。ベートもリヴェリアも。酒が不味くなるわ」


ガリガリガリ。


「アイズはどう思うよ? 自分の目の前で小便を垂らす情けねえ野郎を。あれが俺達と同じ冒険者を名乗ってるんだぜ?」

「……あの状況じゃあ、しょうがなかったと思います」


ガリガリガリ、ガリガリガリ。


「何だよ、いい子ちゃんぶっちまって。……じゃあ、質問を変えるぜ? あのガキと俺、ツガイにするならどっちがいい?」

「……ベート、君、酔ってるの?」

「うるせえ。ほら、アイズ、選べよ。雌のお前はどっちの雄に尻尾を振って、どっちの雄に滅茶苦茶にされてえんだ?」


ガリガリガリガリガリガリガリガリガリ。


「……私は、そんなことを言うベートさんとだけは、ごめんです」

「無様だな」

「黙れババアッ。……じゃあ何か、お前はあのガキに好きだの愛してるだの目の前で抜かされたら、受け入れるってのか?」

「……っ」


ガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリ。


「はっ、そんな筈ねえよなぁ。自分より弱くて、軟弱で、救えない、気持ちだけが空回りしてる雑魚野郎に、お前の隣に立つ資格なんてありはしねえ。他ならない“お前”がそれを認めねえ」















「雑魚じゃあ、アイズ・ヴァレンシュタインには釣り合わねえ」















椅子を飛ばして、立ち上がる。
殺到した視線を振り払って、僕は外へ飛び出した。


「ベルさん!?」


道行く人々を追い抜いて、周囲の風景を置き去りにして、自分を呼ぶ声も遥か背後に押しやって。
僕は、夜の街を駆け抜けていった。












「ベルさん!?」


一つの影が決河の勢いで店外へと消え、それを鈍色の髪の少女が追いかける。
瞬く間の出来事に、酒場にいた者達の大半は何が起きたか把握できずにいた。
困惑したざわめきがあちらこちらから燻ぶり始める。


「あぁン? 食い逃げか?」

「うっわ、ミア母ちゃんのところでやらかすなんて……怖いもん知らずやなぁ」

周囲と同じ反応をするベート達を尻目に、アイズは一人立ち上がった。
鍛え抜かれた動体視力は弾丸のごとき疾走した影の正体を詳細に捉えていた。
白い髪に細身の体。
うつむき加減に伏せられた前髪の奥で光った、昨日と見たものと同じ藍色の瞳。


(あの時の……)


店の出入り口まで進んで、柱に手をつきながら外を見回した。
右手の方角、メインストリートの先へ店員である少女の背中が遠ざかっていく。
少年の姿は、既に見えなかった。


(ベル……)


少女が叫んだ名前を小振りの唇に乗せる。
背中を叩く仲間達の呼び声より、その名前がやけに自分の胸へと響き渡った。


「ほいほい、アーイズぅ。なにやってるんー?」

「……」


背後に立った人物が両腕をアイズの腹部に回してきた。
息がかかるほど体を密着させ、恥骨をアイズの臀部に押し付けてくる。
この人物でなかったならば、いや同姓でなかったら殴り飛ばしているところだが、流石にこの相手へ乱暴することはできなかった。
アイズは困った顔をして腹に回された手をとって捻り、肘鉄、相手が後退したところでその頬っつらへ張り手をかました。


「ちょ、めっちゃ乱暴しとるやん……っ!? 表情と行動が全く噛み合ってないよアイズたん……!」

「変なことしないでください」


もみじのできた頬を押さえ涙目になる相手はプルプル震えていたかと思うと、すぐに復活して「クーデレなアイズたん萌えー!!」と叫び出した。
アイズは非常にソレから目を背けたくなった。


「まぁまぁ、そんな顔せんで。ベートと酒飲みたくなくなったんなら、ミア母ちゃんに頼んで店の外に吊るしてもらうから」


アイズが出口へ向かった原因を勘違いしているらしい。
見ると、「ぐぉおおおおおおおおお!?」と叫びながら獣人の青年がみなの手で地面に取り押さえられ、縄でぐるぐる巻きにされているところだった。髪の長いエルフに頭を踏まれている。
他の客はそれをはやしたて、どんちゃん騒ぎの有り様だ。


「ほな、いこぅ。アイズたん、うちに酌してぇ」

「……」


肩を抱かれやんわり連れて行かれる中、アイズはもう一度外を見た。
魔石灯の光でぽつぽつ照らされる大通りの先に、姿求める人物を望むことはかなわない。
すっかり暗くなった夜空の中で、今にも泣き出しそうな雲が月にかかっていった。













(畜生、畜生、畜生っ!)


ベルは走る。歪められた眦から水滴が浮かび、背後へと流れていく。
反芻するのは先程の出来事。
みじめな自分が恥ずかしくて恥ずかしくて恥ずかしくて、笑い種に使われ侮蔑され失笑され挙句の果てには庇われるこんな自分を、初めて消し去ってしまいたいと思った。


(馬鹿かよ、僕は、馬鹿かよっ!!)


青年の放った全ての言葉が胸を抉る。
惰弱、貧弱、虚弱、軟弱、怯弱、小弱、暗弱、柔弱、劣弱、脆弱。
少女と親密になるために『何をすればいいかわからない』ではない。
『何もかもしなければ』、自分は一人の少女の前に現れることさえ許されない。
殺意を覚えるのは蔑んだ青年でも周囲で馬鹿にしていた他人でもない。何もしていないくせに無償で何かを期待していた、愚かな自分に対してだ。


(悔しい、悔しい、悔しいっっ!!)


青年の言を肯定してしまう弱い自分が悔しい。
何も言い返すことのできない無力な自分が悔しい。
彼女にとって路傍の石に過ぎない滑稽な自分が悔しい。
彼女の隣に立つ資格を、欠片も所持していない自分が、堪らなく悔しい。


「……ッッ!」


藍色の双眸が遥か前方を睨みつける。
迷宮を保有する摩天楼施設が、地下に口を開けてベルを待っていた。
目指すはダンジョン。目指すは高み。
つり上げた瞳に涙をため、ベルは闇に屹立する塔に向かってひた走った。


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