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2023.11.30

ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか 理想郷譚プロトタイプ
第46話
冒険の意味を⑤

ごつごつとした岩肌が、上下左右、視界という視界を占領している。
天井が高いにもかかわらず生まれる閉塞感。壁から剥き出しになっている巨大な岩々が四方から重苦しい圧迫感を放っている。光源が心もとなく、薄暗いのもその一因だ。
地面は当然舗装などされておらず、でこぼことした石の通路は歩きにくい。
洞窟、炭鉱、坑道。
規則性なく道が入り組む天然の隧道から連想するのは、そんな岩盤の空洞だ。
無骨な洞穴は、迷い込んだ旅人をより深みへ誘うかのように、どこまでも闇を広げていた。


「この階層に留まるのも久しいな……」


ダンジョン18階層。
Lv1の冒険者達が縄張りとする層域に、たくましい体をした獣人、オッタルは一人さまよっていた。
ダンジョンの壁面上部から盛り上がった拳大の石がランタンのように光を燃やし、オッタルの巨体を照らし出す。
纏う装備は、何と軽装。
二メドルを越える体格を誇り超重量の全身型鎧をも易々と使いこなせるにも関わらず、モンスターの攻撃から身を守る生命線はごく限られた部位にしか及んでいない。
しかし、その各パーツの装甲はありえないほどの厚みと規模を帯びており、もはや全身に盾を仕込んでいるようにも見える。いざこれは軽装の分類かと問われると、はっきりと頷けるかは怪しいところだった。
右肩に背負った丈夫そうな背嚢は、窮屈そうにぱんぱんに膨れ上がっている。


(そもそも、最後にダンジョンにもぐった日も定かではないか)


歩む度に巨体が揺れる。地響きの一つや二つが起きてもおかしくないにもかかわらず、足音の鳴らないその歩行には酷く違和感が付きまとう。
ただ、決して無視できない存在感は終始振り撒かれていた。
モンスターの気配はしない。まるでオッタルに怯えているかのように、彼の前にモンスターの影が現れることはなかった。


(……嫉妬、か)


周囲に意識の網を張り巡らす一方、オッタルはフレイヤとの会話を思い出していた。
妬まないのか、と自分の主神は問いかけた。
あの時のオッタルの言葉に嘘はない。何が起きようと、フレイヤの愛を疑うことなく崇拝し続けている。

神フレイヤは大地を撫でる風のような存在だ。
望んで手を伸ばしたところで決して掴めない。そよ風によってからかわれるように愛でられ、やっと指先が掠めたと思ったら、ひゅるりとすり抜けていってしまう。
風は縛れない。独占できない。留められない。
何より、風は伴侶を求めない。
風は気の向くままに一人で空の下を泳ぐ。平原をさすらう旅人を見つけ、もし気に入れば、笑みを浮かべて近寄り後ろからそっと抱き締めていく。そして旅人が振り向いた時には、またどこかへ行ってしまうのだ。
けれど同時に、そう、風は平等なのだ。
大地に立つ全ての者に涼やかな祝福を送る。時には激しく、時には優しく。北風のように、春風のように。
耳朶にそっと触れ、ささやきかけてくる風の声がやむことはない。途切れることはない。風は永遠だ。
オッタル達が大地に立っている限り、例えどこかに行ったとしても、風が失われることは決してない。


(ここにいるということが、既に答えということか)


ただ、もし風が還るところの空が現れたなら。風の焦がれる天空が現れたなら。
大地に立つ自分は、それを見上げることしかできない。
遥か下よりその光景を仰ぐことで己の卑小さに打ちひしがれれば、あるいは、そこには確かな羨望があるのかもしれない。
そして羨望と猜みは表裏だ。


(青い……)


武骨な面差しがほどけたように浅く一笑を描いた。見る者が見たならばさぞ驚いたことだろう。
結局、フレイヤの命を拒絶しなかった時点で、オッタルにも含むところがあったというわけだ。きっと女神にも見抜かれていたのだろう。
くっ、と自嘲にも似た笑みが洞窟内を低く残響した。


「……」


オッタルの歩みが止まる。
もはや額当てと言っていい被覆面積の少ない黒鉄のヘルム、そこから覗く猪耳がピクリと反応を示した。
ブーツに包まれたつま先が方向を変える先、壁に空いた横穴から、ぬぅっと赤黒い牛頭が生えた。


「ヴゥモオッ……!」

「出たか」


血走った巨大な目玉が立ち止まったオッタルを捉える。
ミノタウロス。牛頭人体の外見を持つ筋骨隆々の大型級モンスター。全長はオッタルと同じか少し上。その体型からして、非常に彼と似通った点が多い。
オッタルが自身のLv.より大幅に適性の低いこの階層に留まっていた理由。
それは、目の前に現れたこの凶暴なモンスターの“捕獲”だった。


「ヴヌウウウウウッ……!」


ミノタウロスは興奮していた。
迷宮の武器庫ランドフォーム』を利用したのだろう、その手には石斧の天然武器ネイチャーウェポンが握られていた。
片手大の斧には紅い液体がぶちまけられたようにこびり付いている。冒険者と一戦交わしたか、あるいはその頭をかち割ったか。
見たところ体には目立ったダメージはない。
これは“当たり”かと、オッタルはその錆色の眼を細める。
帯に手をかけ、ドンッと特注の背嚢を肩から地面に落とす。一見すれば建物の柱のような袋からは、地面を割る音の他にジャラリと鎖の音も交じって出てきた。
ミノタウロスはそれを見た瞬間、ぐわっと目を剥いて走り出す。


「ヴゥゴオオォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ!!」


ダンジョンの床を蹴り上げ石の欠片を巻き上げる。斧が大上段に構えられた。
岩洞を震撼させる吠声を正面から当てられても、オッタルは顔色一つ変えなかった。
右手で背嚢を地面に垂直に支えながら、左手はだらりと下げたまま。一直線に向かってくるミノタウロスを武器も持たずに待つ。
そして眼前に迫ったミノタウロスの踏み込みの足が、轟然と地面を陥没させた瞬間、オッタルはゆるりと左腕を掲げた。


「ヴォオオオオオオオオオオウッ……ヴゥオ!?」

「……上々だ。お前に決めたぞ」


受け止めた。完全防御。
あたかも骨が潰されるような不快音の次に、石斧の刃がばらばらに砕け、宙へと舞う。
ミノタウロス渾身の一撃が、手甲を纏ったオッタルの左腕一本で抑えこまれた。
防具の強度もさることながら、驚くべきはその異常な『耐久』補正。棒立ちの姿勢でありながら、その巨体は微塵も動かない。“戦闘に臨まずとも”、猪の獣人はミノタウロスの突撃を真正面からねじ伏せてしまう。
まるで地中に根をはった大木のようにオッタルは微動だにせず、いっそ非情なまでにミノタウロスを“値踏み”していた。
本能か、その瞳に怯えを宿しながら、ミノタウロスが一歩二歩とよろけるように後退する。
遅まきながら、目の前の生物が自分以上の化物だということを悟ったようだった。


「止まれ」

「ゴッ……!?」

「そのまま“ぶつけても”いいが……さて」


射竦められたミノタウロスは本当に足を止めた。オッタルは相手の手から滑り落ちる石斧に視線を落とし、しばし思案する。
やがて後ろに手をやる。ミノタウロスが一々反応するのを尻目に、腰のところで交差させてある二本の双剣――規格は大剣のそれだ――の一本を抜き取り、放り投げた。


「……ヴォ?」

「先程の動きなら問題あるまい。使いこなしてみせろ」


見る者に猛烈な違和感を抱かせる愛嬌を覗かせながら、ミノタウロスは自分の目の前に突き立った大剣に首を傾げる。
オッタルと剣の間で視線を往復させながら、恐る恐る手を伸ばす。
指がしっかりと柄を握りしめた。


(命を授かった以上、加減はできません。フレイヤ様)


フレイヤは言った。少年、ベルの大成にオッタルのやり方で働きかけろと。
あの会話のやり取りからもわかる通り、自分が示すとしたらその指針は一つだけだ。彼女もそれを承知の上でオッタルに全てを一任したのだろう。
ミノタウロスを、ベルに送り込む。
用意された道は、少年にとって残酷なまでに茨の道だった。


(……膳立てには過ぎるかもしれんが)


オッタルはこの時まで、数多のミノタウロスを吟味し、抜選することをしていた。
ひとえにベルの一皮剥くために。フレイヤの望む輝きを引き出すために。
Lv.0の冒険者にとって、Lv.1にカテゴライズされるミノタウロスの相手はあまりにも過酷。まともに戦えば自殺行為に等しい相手だ。にもかかわらず、こうして武器まで与えている。
いっそ横暴なまでに、オッタルはベルを虐げる真似をしていた。

愚かな感情が心の底で根付いているのは認めよう。オッタルはベルのことを少なからず意識せざるをえない。
それで、だから、故に、フレイヤの視界からベルを消そうとしているのか。
その自問に対し、否、とオッタルは断言することができる。
ベルが死んだところできっとフレイヤは彼の魂を追いかけるつもりだろう。すなわち天界にまで戻ってベルを自分の胸の中へと誘う。懐抱する。でなければ、万が一にも死の危険を孕むとわかっていてオッタルに扱いを任せることはしない。
もはやベルの生死に意味はない。生きようが死のうが、愛の女神による呪縛がその未来には待ち受けている。
これは嫉妬ではない。
これは、“洗礼”だ。


(あの御方の寵愛を受けるというのなら、超えてみせろ)


オッタルが求めるのは資格の提示。神フレイヤが見初めるに相応しい魂であることの証明。
彼女の関心を攫うのはいい。彼女の寵愛を独占するのも受け入れよう。
だが、あの崇高な女神の名を汚すことだけは許さない。
フレイヤに見入られた以上、それが貴様の義務なのだと、オッタルは決して届くことのない激励を心の中で呟いた。


「ヴォオオオオオオオオオッ!!」

「……訂正だ。使いこなしてもらうぞ」


出鱈目に振るわれた大剣をいとも容易く弾く。
オッタルは目の前のモンスターに与えられた役割を全うさせようと、重い足を踏み出し“教育”に取りかかる。
散っていく火花は治まることはなく、広大な洞窟を金属の喚く音が幾重にも反響していった。何時間も、何十時間も。
全てはフレイヤのために、オッタルは課せられた己の使命をただ果たす。



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