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2023.08.24

ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか 理想郷譚プロトタイプ
第32話
魔法は膝枕を喚ぶ魔法⑧

「……?」

「どうした、アイズ」


二人の冒険者が5階層に足を踏み入れていた。ただし、上からではなく、下から上ってきて、だ。
目立った負傷もなく確固とした足取りを見せるアイズとリヴェリアの二人組は、37階層から約三日がかりで、ここまでの帰路の消化を果たしていた。
地上までの長い行程はもとより、四六時中モンスターの襲撃に脅かされていたにも関わらず、疲労の影は薄い。
もはや大した時間を要すことなくダンジョンからの帰還を目前にした彼女達であったが、ここにきて、先頭を歩いていたアイズの動きが止まった。
リヴェリアは、優美な金の髪が流れるその後ろ姿に問いかける。


「人が倒れてる」

「モンスターにやられたか」


ルームの中央でぽつねんと、一人の冒険者が転がっていた。
まるで行き倒れのように地面へ伏せているソレのもとに、二人は近付く。


「外傷は無し、治療および解毒の必要性も皆無……典型的な精神疲弊だな」


後先考えず魔法を使ったんだろう、と屈みこんで診察したリヴェリアは呆気なく結論を出した。
魔法は何の代償もなしにばかすかと行使できるものではない。体力の対をなす精神力マインドを削って発動させるのだ。
よくも気絶するまで自分を追い込めたものだと、リヴェリアは呆れながら感心してみせる。
一方でアイズは、膝に両手をついた中腰の姿勢で、じっとその冒険者の後頭部……白髪頭を見つめていた。


「この子……」

「何だ、知り合いかアイズ?」

「ううん、直接関わりはないけど……あの、前に話したミノタウロスの……」

「……なるほど。あの馬鹿者がそしった少年か」


リヴェリアは合点がいったと理解を示す。
彼女はアイズからこの少年――ベルがあの時酒場にいたことを聞いていた。
彼女自身は当時のやり取りを戒めていた側だったが、あの場でのベルの存在を知らなかったとはいえ、すぐに止めようとしなかったことを反省している。ベルには悪いことをしたと。
そして自分以上に、ことの発端を作ってしまったこの少女は当時のことを引きずっていた。


「リヴェリア。私、この子に償いをしたい」

「……言いようは他にあるだろう」

「?」


「硬すぎる」と溜息をつくリヴェリアとは対照的に、アイズはその円らな瞳を二、三度瞬きさせる。
リヴェリアは何もわかっていない彼女の様子に、眉間に指を添えた末、もう何も言わないことにした。


「まぁ、この場を助けてやるのは当然の礼儀として……」


コクコク、と頷くアイズを隣に、リヴェリアは屈んだ姿勢のままベルを見つめる。
まだまだ起きそうにないことを確認すると、ちらりと横目で少女を見やった。


「……アイズ、今から言うことをこの少年にしてやれ。“償い”なら、恐らくそれで十分だ」

「何?」


リヴェリアは簡潔に内容を伝えた。


「……そんなことでいいの?」

「確証はないがな。だが、この場を守ってもやるんだ、これ以上尽くす義理もないだろう。……それに、お前のなら喜ばない男はいないさ」

「よく、わからないよ……」


わからなくてもいいさ、とリヴェリアは苦笑した。
少し考え込んでいるアイズを、しばし母親のように見つめながら、やがて顔を凛々しく構える。
いつもの顔付きに戻った彼女は立ち上がった。


「私は戻る。残っていてもややこしくなりそうだからな。けじめをつけたいのなら、二人きりでしろ」

「うん。ありがとう、リヴェリア」


ああ、とリヴェリアは相槌を打ってその場を後にする。
モンスターの存在など、はなから心配していなかった。
少年を守るのは、これ以上のない最強の守護者だったからだ。




















まどろみに抱かれていた。
澄み切った水のような香りと、温かなお日様のような温もり。
肌を通じて感じる全ての気配が穏やかだった。
眠い。
ずっとこの居心地に抱かれていたい。


(……?)


そっと、髪を撫でられた。額に触れた細い指がくすぐったい。
優しい指使いだった。安心する。
閉じている瞼をおずおずと開けた。


(……おかあさん?)


顔も知らない、会ったこともない人の名前を唇で転がす。
瞳にぼんやりと映る輪郭の動きが、ぴたりと止まった。


(ごめんね。私は、君のお母さんじゃない……)

(……え)


“その人”は透き通った声で僕にそう応えた。
霞む目を見開く。
次第にはっきりとしてくる線の形。
最初に像を結んだのは眩い金の髪で、次は整った顔立ち。
最後は髪の色と同じ、金色の瞳。


「……」

「起きたかな……?」


目覚めました。頭は。
でも時間は止まったまま。
真っ白の頭の中、僕は、僕を見下ろしているこの人の顔にただ見入っていた。
頭の後ろが、柔らかい。温かい。
何をされているのか見当はついた。きっと、多分、膝枕。
この人の……ヴァレンシュタインさんの指が、また僕の髪を梳いた。
触れられた瞼が、熱い。


「…………」


のろのろと上半身を起こした。頭の後ろから遠のく温もりがすごくもったいない気がしたけど、起きる。
一度彼女が視界から消える。代わりに散乱するモンスターの斬殺死体が目に飛び込んでくる。
見なかったことにして振り返った。ヴァレンシュタインさんは、まだ消えていなかった。


「……幻覚?」

「……幻覚じゃないよ」


むっ、とヴァレンシュタインさんの表情が変わる。
形の整った柳眉が少し斜めになった。

それから僕達はじっとお互いを見つめ合った。
藍色の瞳と金色の瞳が交差する。
無言の空間に彼女がちょっと困り出した頃。僕は首からみるみるうちに赤くなっていき。ヴァレンシュタインさんがその様子に気付いた時には。爛熟し過ぎた林檎ができあがっていた。
焦点は合わず、瞳が糸ミミズのようにグチャグチャになっている。
勢いよく、立ち上がる。


――だぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!?」


僕は、全力で駆け出した。













「……何で、いつも逃げちゃうの?」


聞く者が聞けば、それは確かに寂しそうな響きだった。



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