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2023.08.10

ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか 理想郷譚プロトタイプ
第30話
魔法は膝枕を喚ぶ魔法⑥

あれから二日経った。
リリと最後にダンジョンにもぐってから中一日空いたことになる。
一昨日、リリは用事があるといってダンジョンへ行けない旨を僕に伝えた。【ファミリア】の事情が絡んでいるのか僕にはわからなかったけど、申し訳なさそうにこちらを見上げるリリの姿を酷く鮮明に覚えている。
僕は何だか気が進まず、昨日はダンジョンへ足を運ばなかった。
ここのところダンジョンに通いっぱなしだったからいい休息、なんて自分に言い聞かせてるけど……何だかなぁ。
ヴァレンシュタインさんの顔を思い出す度に、「こんなことしてる場合じゃないだろ」って胸の真ん中ががなり立ててくる。でも、どうしても気力が湧いてこない。
ガスの抜けた風船みたいだ。


「……あー、駄目だこんなんじゃあ」


寝転がっているソファーから身を起こして、髪を少し乱暴に掻く。
ふぅーと一息して、鬱積みたいなものを重苦しい空気と一緒に体の中から追い出した。
とにかく動こう。やることを探そう。このまま腐っていたらいけない。
心機一転じゃないけど、僕は意識を切り替える。
リリのことはひとまず心の隅に置いておいた。


(久しぶりに掃除でもしようかな……)


すっかりホームにいる時間が少なくなっているから、家事は随分とやっていないような気がする。
神様だけに任せきりは悪いと思って、行動に移ろうとソファーから立ち上がると……棚の上に放置されたバスケットが目に入った。


「……あ゛」


僕の、馬鹿。









「本っ当っに、ごめんなさいっっ!!」

「あははは……」


ばんっっ、と両手を合わせ頭を下げる。
日が燦々と輝いている真昼時、『豊饒の女主人』に駆けこんだ僕は、シルさんの目の前で全力で謝罪を行っていた。
恵んでもらっている御恩をすっかり忘れてたなんて……。


「顔を上げてください、ベルさん。ベルさんにも都合があるでしょうし、私だってそこまで気にしてはいませんから」

「いや、でも……」

「それなら、今度からは気をつけるように頑張ってください。過ぎたことは戻ってはきませんから、これからの行動で誠意を示すということで」


ごもっとも……。
僕はおずおずと上目がちになりながら顔を上げた。微笑をしているシルさんは優しく僕を見つめている。
こういう時、この人が年上だって、しみじみ感じさせられる。


「でも、そうですね。音沙汰がなくて私も心配はしていました。お仕事で間違いを起こしてしまうくらい」

「本当にすいませんでした……」

「……いっぱい、からかわれたんですよ?」


少し恨みがましい目付きで、シルさんは口を尖らせた。
はっ? と僕は目を丸くする。なんのこっちゃ、と正直な感想が顔にありありと浮かんでいたと思う。
シルさんがすぐにわざと過ぎるくらい咳払いをした。頬っぺたに少し赤みが差していたのが印象に残った。
肌がミルクのように白いから、よく映えるみたい。

バスケットを返してから僕はメニューを受け取った。
返すものを返してじゃあさようなら、では何だか駄目なヒューマンに思えたので、忘れていた見返りというわけではないけど、簡単な注文をする。
『豊饒の女主人』は昼間は喫茶店を営んでいるようなので、夜に来る時とはメニューの内容が随分違う。値段も全体的にこっちの方が安い。
やっぱりお客が冒険者だと価格を上に設定するのかな。一般の人より一日の収入自体は遥かに高いわけだし。まぁ、そこからアイテムの購入とか武器の整備代とか、色々差し引かれるんだけど。
僕は紅茶とケーキを頼んだ。実は甘いものはあまり好きじゃないけど、ちょっと雰囲気に流されて。
店でくつろいでいる他のお客さんは女の人が中心だ。主婦っぽい獣人に引き連れられる子供達の姿が微笑ましい。


「あれ、前にこんなの飾ってありました?」


いつもお世話になっている店の隅のカウンター席、そこで店内を観察していると緑色の本が視界に飛び込んできた。
僕のすぐ後ろの壁に立てかけられてあって……インテリアとしてはあまり頂けないような。
無骨っていうか、ちょっと珍妙過ぎる気がする。


「ああ、それは……」


注文を取りにきたシルさんは一旦言葉を切った。
僕が疑問に思う前に続きを言う。


「お客様のどなたかが、お店に忘れていったモノのようなんです。取りに戻られた際に気付いてもらえるように、こうして置いていて」


はぁ、と気の抜けた返事をする。酒場にこんな本を忘れちゃう人なんているんだ。
僕はそれから、ケーキと紅茶を運んできたシルさんと取りとめない会話を交わした。
独断でキャットピープルの店員さんがシルさんに休憩を言い渡していたみたいだけど、平気なのかな? それに何かニヤついてたけど。


「それじゃあ、今は静養をしていらっしゃるんですか?」

「そんな響きのいいものじゃないんですけど……」


僕はリリに関することは伏せて、今は何だか気が抜けてしまったことと、手持ち無沙汰になってしまったことをシルさんに告げた。
口が滑ったわけじゃないけど、誰かに聞いてもらいたかったのかもしれない。
シルさんは僕のことをじっと見つめた後、やがて微笑んだ。


「では、読書なんていかがですか?」

「読書?」

「はい。ベルさんはあまり本をお読みになられないようですから。この機会にぜひ試してみるっていうのはどうですか?」


こういう時こそ本はいい刺激になるかもしれない、とシルさんは言う。
読書……考えてもみなかった。でも確かに、ダンジョンへ気持ちが向いていない今の僕にはいい薬になるかも。
英雄のお伽噺を読んだ後いつも感じていた、居ても立ってもいられなくなるあの感覚。
本の世界に触れて胸が躍り出せば、今の無気力状態を一新できるかもしれない。それに、前から読もうとは思ってたんだし。


「うん、妙案かも……。ありがとう、シルさん。僕、本を読んでみることにします」

「そうですか。お役に立てたのなら嬉しいです」


僕はありがたくシルさんの助言を採用することにした。
やっぱり一人で抱えず誰かに相談してみるものなのかもしれない、こういうのは。感謝をしていると、シルさんは笑みを崩さないまま尋ねてきた。


「じゃあ、何かお目当ての本はありますか?」

「んー、そういうのは特にないですね。ホームに神様の本があるから、それを貸してもらおうかな……」


いっそ書店に行っちゃうのもアリかな、なんて僕が思っていると、シルさんは「でしたら」と背後にあったあの緑色の本を手に取った。


「これなんてお読みになってみませんか?」

「えっ? でもこの本、他のお客さんが忘れていったものじゃあ……」

「ちゃんと返していただければ問題ありません。本は読んだからといって減るものではないですし。それにこの本はきっと冒険者様のものですから、同じ冒険者のベルさんには役立つことが載っているかも」


ここは冒険者に人気の酒場だから、自然と持ち主は想像できる。恐らくシルさんの言う通りだろう。
冒険者の私物なのだからそれこそいい刺激を受けるかもしれない、ってことか。
確かに他では目にかかれない珍しい本だ。今しか触れられるチャンスはないのかも。
でも、人のものに勝手に手垢をつけるのは……。


「大丈夫です。ミアお母さんはこの本を置いておくのをあまり快く思っていないようですし、むしろベルさんが預かるという形を取ってくれれば私達も助かります。……それに」


シルさんは、はにかんだ。


「私もベルさんの力になりたいかな、なんて……」

「……」

「私にはこんなことしかできませんから、だからベルさん、どうか受け取ってくれませんか?」


いつかと似たようなお願い文句を告げられ、思わず苦笑した。
そういうことなら、甘えちゃおうかな?
くすぐったいシルさんの心遣いを邪険にしたくなくて、僕は本を受け取ることにした。
手渡される際、シルさんの柔らかい手が僕のものに当たり、ちょっとどきっとしてしまう。


「あ、ありがとうございますっ。えっと、じゃあ、僕もう行きますねっ?」

「はい。ご来店ありがとうございました」


うろたえてしまった僕は誤魔化すように立ち上がった。ケーキ美味しかったですと言ってそそくさと店を後にする。
エイナさんとの時もそうだったけど……駄目だ、女の人との肌の触れ合いはどうしようもなく緊張してしまう。赤面ものだ。
どれだけ情けないんだ、僕ってやつは。


『シル、あの本を、渡してしまったのですか……?』

『うん。渡しちゃった』

『一応お店のものなのに勝手に貸しちゃうなんて、真面目なシルには珍しい……』

『お二人ニャン、恋は盲目という言葉を知らないのかニャ? シルもちょっとくらい羽目を外すのもいたし方がないことニャ』


そういえば、シルさんの手、ちょっと震えてた……?














ホームに戻って僕はすぐに本を読んでみることにした。
神様はバベルの方で仕事を頑張っているので、この時間帯にはまだ帰ってこない。
一応、定職につけたってことなのかな。でも、神様の様子を見る限り何だかそういう感じじゃないような……?
最近の神様のことを考えながら、片手に持った本をテーブルに置く。
椅子を引いて、僕はちょっと緊張しながら題名の記されていない本の表紙をパラとめくった。


『めざせマジックマスター!』


どうしよう、初っ端からそこはかとない地雷臭が。


『ゴブリンにもわかる現代魔法! その1』


ゴブリンに魔法教えちゃ駄目だろ……。
表紙を静かに閉じたくなったけど、ぐっと耐えた。
シルさんの厚意を無駄にするわけにはいかない。僕は辛抱強く文字を追っていく。

出だしはアレだったけど、中身は割と健全のようだった。
章のタイトルに記されているようにどうやら魔法に関する書物らしい。
僕は「おおっ」と目を光らせてこれ幸いと本の中にのめり込んでいく。


『魔法は先天的系と後天的系の二つに大別することができる。先天的系とは言わずもがな対象の素質、種族の根底に関わるものを指す。古よりの魔法種マジックユーザーはその潜在的長所から魔法の早期発現が見込める。属性には偏りが見られる分、総じて強力かつ規模の高い効果が多い』


共通語コイネーで編纂されているので僕にもかろうじて読める。
でも、一文一文の間に細かく走っているこの文字って何だろう……?
文言……じゃなくて、数式か、コレ?
ページをめくる。


『後天的系は神の恩恵を媒介にして芽吹く可能性、自己実現である。規則性は皆無、無限の岐路がそこにはある。【経験値】に依るところが大きい』


神聖文字ヒエログリフ】とも違う、それぞれの亜人の言語とも違う。
一つとして共通した形のない複雑怪奇な記号群。
文体に……文字の海に、引きずりこまれる。
ページをめくる。


『魔法とは興味である。後者にこと限って言えばこの要素は肝要だ。何事に関心を抱き、認め、憎み、憧れ、嘆き、崇め、誓い、渇望するか。引鉄は常に己の中に介在する。神の恩恵は常に己の心を白日のもとに抉り出す』


絵が現れた。
顔がある。目がある。鼻がある。口がある。耳がある。人の顔だ。
真っ黒な筆跡で編まれ描写された、瞼の閉じた人の顔。絵の文章。
ページをめくる。


『欲するなら問え。欲するなら砕け。欲するなら刮目せよ。虚偽を許さない醜悪な鏡はここに用意した』


違う。僕の顔だ。額から上が存在しない僕の顔面体。
違う。仮面だ。僕のもう一つの顔。
ページをめくる。


『じゃあ、始めよう』


瞼が開いた。“僕の”声が聞こえた。
文字で綴られた藍色の瞳が僕を射抜く。短文で形成された小さな唇が言葉を紡ぐ。
ページをめくる。


『僕にとって魔法って何?』


わからない。
けど、漠然と凄いもの。
モンスターを倒す必殺技。英雄達が使いこなす起死回生の神秘。
強くて、激しくて、無慈悲で、圧倒的で、一度は使ってみたいと望んで止まない、純粋な好奇心。
ページをめくる。


『僕にとって魔法って?』


力だ。
強い力。
弱い自分ごとやっつける大きな武器。
弱い自分をやっつけたい僕だけの武器。
人を守る立派な盾なんかじゃない、癒しの手なんて綺麗なものでもない。
邪魔なものを蹴散らして道を切り開く、英雄達の力。
ページをめくる。


『僕にとって魔法はどんなもの?』


もの?
魔法ってどんなもの?
炎だ。
魔法と聞けば炎。真っ先に思い浮かぶのは炎。
強くて、猛々しくて、熱い。
草原を燃やし、灰を巻き上げ、大気を焦がし、波のように全てを呑み込んで、陽炎が揺らめく、弱い僕にはちっとも似つかわしくない、赤い炎。
僕は、炎になりたい。


『魔法に何を求めるの?』


より強く、あの人のもとへ。
より速く、あの人のもとへ。
空を駆け抜ける雷霆のように
誰よりも、誰よりも、誰よりも。
誰よりも速く。
あの人の隣へ。
あの人の瞳の中へ。


『それだけ?』


叶うなら。叶うなら。叶うなら。
英雄になりたい。
あの時から憧れていた、今も馬鹿みたいに憧れ続けている、英雄になりたい。
お伽噺に出てくる彼等のように、誰もが称えて認めてくれる英雄に。
情けない妄想でも、カッコ悪い虚栄心でも、みじめになるほど不相応な願いだったとしても。
僕は、あの人が認めてくれるような、英雄になりたい。


『子供だなぁ』


……ごめん。


『でも、それがきみだ』


本の中の僕は最後に微笑んだ。
そしてすぐに、僕の意識は暗転した。



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