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2023.03.23

ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか 理想郷譚プロトタイプ
第10話
だからボクは力になりたい①

時間を刻む音が部屋の中に無機的に響いている。
壁にかけられた時計の針が示す時刻は朝の六時。
ヘスティアはホームである小部屋で、同じ場所を行ったり来たり繰り返していた。


(いくらなんでも遅すぎる……!)


腕を組み眉根を思いきり寄せ合わせ、焦燥を顔に浮かべる。
ベルの成長速度にアイズへの想いがこれでもかと起因した【ステイタス】を見せつけられ、ちっとも面白くなかった昨夜。へそを曲げてバイトの飲み会に出ていったヘスティアが帰ってくると、彼女を迎えたのはがらんとした静けさだけで、ベルはこの隠し部屋にはいなかった。
一人で飯でも食べてこいと言った手前、出迎えがないことにいっそう不機嫌になったヘスティアは、シャワーも浴びずベッドへぴょんと飛び込みふて寝を決め込んだのだが……十時、十一時、十二時……深夜を回ってもまだ帰ってこないベルに、彼女はいよいよ危機感を覚えた。
ベルへの文句と不満でずっと目を開けっぱなしにして横になっていたベッド、そこから毛布をはねのけ立ち上がり、部屋から飛び出して近辺を探しにいったのだ。


「どこにいったんだ、君は……!」


収穫はゼロ。
目印である白髪頭の影も見つけられなかったヘスティアは、一縷の望みにすがってつい先程部屋に戻ってみたが、やはり少年の姿はなかった。
彼女自身一睡もせず夜の街を奔走した結果、消耗の色濃い相貌。それが緊張の色で上書きされていく。


(ボクがあんなことを言ったから? でも、あの子は人に心配をかけるくらいなら私情を我慢するような子だし……これが普段通りなら、ボクに平謝りに来てもおかしくないものだけど……)


最後の別れ際、捨てられた子犬のような目をしていたベルの姿を思い出す。
当時も感じた罪悪感が再び胸に去来したが、ヘスティアはかぶりを振った。
今は感傷に浸っている場合ではない。湧いて出る後悔を封じ込めて、冷静に思考を働かせる


(でもボクが関係していないとなると、それじゃあ、ベル君が帰ってこないのはやっぱりっ……)


何か事件に巻き込まれたのか。
冷静沈着の体など砂の城のように崩れ、すぐにぶわっと嫌な汗が噴き出す。
居ても立ってもいられなくなったヘスティアは、再びベルを捜索しようと扉のもとに駆け寄った。


――ぶぎゅ!?」


ヘスティアがドアノブに手をかけようとした、その時だった。見計らったかのように四角形の板が開いて彼女に突進してきたのは。
ヘスティアは顔面を強打!
同じタイミングで双丘が「むぎゅ!」と悲鳴をあげ圧潰!
ヘスティアの信仰値が100上がった!
顔面を押さえながらうずくまるヘスティアは、声にならない呻き声をあげる。


「か、神様……ご、ごめんなさい……」


まさかの襲撃に悶えていたヘスティアだったが、頭上から降ってきた声を聞いて、両手で押さえていた目を見開く。
声の主が望んでやまなかった人物だと察知し、ヘスティアは勢いよく立ち上がった。


「ベル君!?」


彼女の予想に違わず目の前に立っていたのはベルだった。
胸に広がる大きな安堵。ベルを見上げる姿勢となっているヘスティアは思わず瞳を涙ぐませたが……しかし、ベルの顔とその姿を見て言葉を失った。
ヘスティアに対して申し訳なさそうに眉を落とす顔。赤色と褐色にまみれているのは切り傷と土に汚れているらしく、疲労と憔悴の色が隠せていない。
上半身。質素な薄い私服はところどころ損傷しており、その破けた口から覗く肌は青く腫れ上がっている。
最後に下半身。跳ね上げた泥で変色したパンツは裾がもうボロボロで、そして何より右膝の部分が、何かに切り裂かれたように三本の裂傷が走っている。黒く汚れ既に血が固まりかけている膝の傷が、変わり果てた全身の中で一番酷い。
血相を変えてヘスティアはベルに詰め寄った。


「どうしたんだい、その怪我は!? まさか誰かに襲われたんじゃあ!?」

「いえ、そんなことはなかったです……」

「じゃあ、一体どうして!?」

「……ダンジョンに、もぐってました」


うつむいてぽつりと落とされた言葉に、ヘスティアは一瞬の間、怒ることも忘れ唖然としてしまった。


「ば、馬鹿っ! 何を考えてるんだよ!? そんな格好のままでダンジョンに行くなんてっ……しかも、一日中!?」

「……すいません」


今ベルは防具を何も身に着けていない。
ダンジョンの中ではこんなもの裸も同然だ。凶暴なモンスターの一撃がそのまま致命傷になりかねない。刻まれている痛々しい傷がそれを雄弁に物語っている。
どうやら護身用に短刀だけは所持していたようだが……浅慮、愚行としか言いようがない。
このような装備でダンジョンに夜通しで挑もうなど、命知らずどころかただの間抜けだ。


「……どうしてそんな無茶をしたんだい? そんな自暴自棄のような真似、君らしくないじゃないか?」

「……」


今のベルの有り様、ひいてはどこか暗い雰囲気に叱りつける気も失せたヘスティアは、諭すような優しい声音で語りかけた。
しかしベルは口を開こうとしない。前髪で瞳を覆って隠し、拒絶の意を言外に告げてくる。
ヘスティアは小さく溜息をつく。


「わかった、何も聞かないよ。君は意外と頑固だから、ボクが無理矢理聞き出そうとしても無駄なんだろうし」

「ごめんなさい……」

「なに、いいさ。じゃあ、先にシャワーを浴びておいで。血はもう止まっているみたいだけど、傷の汚れを落とさないと。その後すぐに治療しよう」

「……はい、ありがとうございます」


やっと小さく笑ったベルに、ヘスティアは内心で胸を痛めながら自分も苦笑した。
ドアの前から道を開けてやるとベルはぎこちなく歩き出す。どうやら右膝の怪我は思ったより体に響いているらしい。
見かねたヘスティアは己の身長の低さを恨みながらも、精一杯つま先立ちして肩を貸す。


「ご、ごめんなさい」

「謝ってばっかりだね、今日の君は。悪いと思っているなら、ちゃんと反省してくれよ?」

「は、はい……すいません」

「ほら、また」


密着し合いながらシャワー室を目指す。
部屋の一番奥にあるベッドのすぐ脇、取ってつけたような木材の白扉がそうだ。蝶番が外れかけ、微妙にドアの角度が傾いている。
うぬぅと力みながらベルの体を支えていたヘスティアだったが、そこでふと思い出したように口を開いた。


「ベル君、君はベッドに寝ること。いいね?」

「いいんですか……?」

「当たり前だろう。ここで君をソファーに放り出すほど、ボクは性根を腐らせてなんかないぜ?」


この怪我人に必要なのは深い休息だ。少しでも良い環境を提供するためにヘスティアは自分の本来の寝床を譲る。
そして、それを言い終えた後で、彼女はある悪戯を思いついた。
ベルの方を見て、ニヤリと笑みを浮かべる。


「その代わり、ボクも同じベッドで寝させてもらおうかな? 君を探すために散々駆け回ったんだ、もうヘトヘトだよ。……フフ、まさかぁ断ってくれないよねぇ?」

「あぁ、そうですね。神様も疲れてますよね。じゃあ、すぐに一緒に寝ましょう」

「……なぬっ?!」


キラーパスのつもりが華麗にスルーされ、挙句反撃の弾丸シュートをカウンターで決められたヘスティアは絶句した。
そこは慌てふためくところだろう、と心の中で突っ込む。逆に自分が慌てふためいてどうするんだ、とも。
どうやら心身ともに疲れ果て思考能力が落ちているようだ。ベルは何を言われているのか自覚がないのかもしれない。
くそ、ベル君のくせに……!
と、歯を噛むヘスティアは、しかし顔を紅潮させて待ち受ける展開に胸を高鳴らせた。
抱き着く。絶対に抱き着く。胸の中でぐりぐりと顔を押し付けて少年の体を思う存分堪能する。
言質はとった、もうベルは逃げられない。じゅるり。


「神様……」

「……! にゃ、にゃんだいっ?」


ぽつりと呟かれた声に裏返った返事をする。
まさか考えを見透かされたのかと一抹の危惧を抱きながらも、ヘスティアは次の言葉を待った。


「…………僕、強くなりたいです」

「!」


はっと少年の顔を見る。彼の眼差しはここにはない何かに真っ直ぐ向けられていた。
ヘスティアはベルのその横顔に息を呑み、やがて目を伏せてから、「うん……」と真摯に受け止めるのだった。


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