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2023.11.22

ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか 理想郷譚プロトタイプ
第45話
冒険の意味を④

空が闇に包まれている。
東の空から日はまだ顔を出しておらず、夜と朝の境界が曖昧になっている時間帯。
普段ならありえないほどの早起きをして、僕はがらんとした空き地にやって来ていた。
空き地、と言っても正確には屋外倉庫だ。周囲は木造建築の家々に囲まれている。
『豊饒の女主人』の内庭にあたるこの場所は、元々別の棟が建てられる予定だったらしく、そのスペースはかなり広い。

長方形の空間は、隅っこに木箱や掃除用具などが乱雑に置かれているだけで、一面に広がる殺風景な舗装材の地面が目立つ。とてもじゃないが有効活用されているようには見えなかった。物置場の中央で立ちつくす僕は、肌寒い空気を肺に取り込みながら、少し緊張しかけている体を落ちつける。
僕がこの『豊饒の女主人』の内庭に来たのは、リューさんから戦い方の指導を受けるためだ。
神様とリリが顔合わせした昨日の夜、僕はリューさんに会いに行った。
前から持ちかけようとしていた師事の件、それを頼むためだ。




昨夜、シルさんの計らいによってあらかじめ僕の訪問を承知していたリューさんとは、すんなりと話の場を設けることができた。
といってもリューさんが仕事の合間を縫って、僕を店の裏口に案内しただけなんだけど。


「話はシルから聞いています。私に冒険者として指導してもらいたいと」

「は、はいっ」


少し冷たくも感じる普段通りの物腰でリューさんは僕と相対した。
これもいつも通りで、その時は僕もしっかりと肩を緊張させていた。


「私は人にものを教えられるほど、できたエルフではないのですが……何故私に教えを請おうとしたのか、理由を聞いてもいいですか?」

「その、本当に単純なんですけど……僕よりリューさんの方が、ずっと強そうだったから……」


つまらないほど明快な理由だった。僕も言ってからオイオイと自分で突っ込んでしまったほどだ。
リューさんに気に入られなくてはいけない、なんて思うところがあったわけじゃないけど、シルさんの話によれば、彼女はとても潔癖であると言う。認めてもらうためにも変なところは見せられない。
それに、リューさんはエルフだ。
ハーフエルフで気さくなエイナさんと接していて忘れそうになっていたけど、本来、森の妖精とも謳われる彼の種族はプライドが高い。これは偏見かもしれないけど、大抵は他種族に対して鼻持ちならない態度を取るらしい。認めた者でなければ肌の接触を許さないとまで。

リューさんは僕の知識に似合わないほど礼儀正しいエルフだけど、やはり彼女を彼女たらしめる気高さが確かにある。
森の中で静かに月の光を浴びる、抜き身の短剣のイメージ。
自身の矜持にそぐわない言動や姿勢は、即切って捨てられそうだ。
こちらのことを真っ直ぐ見据えてくる空色の瞳に、僕は慌てて言葉を付け足そうとした。もっとマシなことを言おうとして。


「えっと!? ただ強い人なら誰でもいいっていうわけじゃなくて! リューさんだったから頼みたかったからというかっ、つまり、あのっ、体捌きとかが様になっているように見えたから、この人なら僕にはないものをいっぱい持ってるんじゃないかって! だからっ…………その」

「……」

「……教わりたいって、そう思ったんです、リューさんに。僕の目標が、リューさんの動きの中に見ることができたっていうか……」

「……」

「ごめんなさい、後は……僕の都合です」


現在【ファミリア】から独立している冒険者の存在は、僕の抱える条件にちょうどよかった旨を告げる。
リューさんの真摯な瞳に隠し事ができなかった僕は、余計なことまで全て吐いてしまった。
馬鹿正直に語った自分自身に項垂れる。脈がないことを悟りつつ、リューさんの言葉を待った。


「わかりました。いいでしょう」

「……?」

「クラネルさんの求めるところの師範を引き受けると、そう言っているのです」


僕は間抜けな顔をして面食らった。
見込みのない筈だった打診のどんでん返し。


「貴方は偽ることをしなかった。至情も伝わってきた。十分です。私は貴方のその直向きな意志を無下にしたくはない」

「え、ええっと……?」

「貴方は尊敬に値するヒューマンだ」


リューさんが、笑みを浮かべた。
冷静然とした顔立ちから溶けて出てきた淡い笑み。
その細い眉を柔らかくして、小振りな唇が綻ぶ。
清楚な白い花のようなリューさんの笑顔に、僕は一瞬で真っ赤になった。


「私は冒険者への干渉を避けていましたが……貴方のような人ならば、協力することにやぶさかではない。私で良かったら、力を貸しましょう」


快諾してくれたリューさんは今後の予定を言い渡して、すぐにお店の勤めに戻っていた。
僕はというと、半分放心しながらリューさんの言葉を聞き流していた。いや、かろうじて覚えてはいたけど。
今更ではあるが、エルフの笑顔は危険なものだと、僕はそのとき身を持って思い知らされた。
特に、常日頃から凛々しいエルフの笑顔は凶悪だ。本命がいるのに目移りしてしまう僕みたいな大馬鹿野郎を骨抜きにする、伝家の宝刀。

その美しい容姿だけじゃないんだ、エルフは。
気を許した相手だけに見せる可憐な笑顔。
何でエルフが他の種族に人気があるのか、僕はその一端を垣間見たような気がした。




「お待たせしました」


妖精の声が耳朶を叩く。
顔を赤くした僕が回想から戻ってくると、リューさんが手ぶらの状態で店の渡り廊下から出てくるところだった。
リューさんはいつも僕が目にしているお店の制服ではなく、ショートパンツに簡素なシャツ姿。洒落なんて一切気にせず、ただただ動き易そう。

この時間帯は選んだのはリューさんの都合から。
早朝から店の準備がある『豊饒の女主人』の店員さんは一日を通して暇というものが少ない。
わけありなリューさん達から言わせると働かせてもらっているから文句はないらしいけど、とにかく余暇に割ける時間がないのだ。
僕の相手をするのはこんな朝早くからじゃないと事実上不可能らしく、頼み事をした立場としては申し訳なくはある。
内心でそんなことを思っていると、リューさんは僕の前まで来て、すっと手を差し出した。


「リュ、リューさん? 何を……」

「まずは契りを。至らない身ではありますが、貴方の指南役を務めさせてもらいます。全身全霊をもって取り組ませていただくので、よろしくお願いします」

「こ、こちらこそ!?」


慌てて差し出された手を握った。こっちが頭を下げた側なのに、何でへりくだられているんだ。
僕は恐れ多く思いながらリューさんと手を重ね、はっと気付く。
エルフって認めた相手じゃないと握手なんかしない……これって、自惚れてもいいのかな?
冷たく柔らかい手の感触と、気付いた事柄に平静さを手放していると、僕達の手は離れた。
リューさんは自分の手をじっと見つめると、「そういえば二回目でしたね」と少し口元を和らげ。
二回目? と首を傾げた僕は、しかしすぐに乾いた笑い声を漏らす。
《神様のナイフ》を見つけてもらった時、どさくさに紛れて見事に握ってたよ、僕。両手で。
斬られても文句言えなかったのか……。

ドゲザをしたくなる衝動に僕が襲われていると、リューさんは雑具が山積みされている内庭の隅からデッキブラシを持ってきた。
柄をよく見た後。ブラシの方を持って、一思いに引き抜く。
きゅぽんという小気味のいい音とともに、長い木の棒が彼女の手に収まった。


「冒険者の指導とのことでしたので、最初は私の経験も織り交ぜて座学でもしようかと思いましたが……クラネルさんの話を聞いた限り、貴方が私に求めていることは、そういうことではないのでしょう?」

「は、はい」

「そもそも、ダンジョンの知識ならばギルドの方で適任者がいるに決まっている。見識の養成は、そちらの方にお任せします」


「私は実技のみに集中させてもらいます」とリューさんは続けた。
そういえばそっちもエルフから指導を受けているんだよなぁ、と僕はエイナさんの顔を頭の中に描きながら思った。まぁ、エイナさんはハーフだけど。
僕の教役はエルフづくしのようだ。
……あれ、これって傍から見ると、かなり羨ましい状況なんじゃあ……?


「さて、肝心な教導の方針ですが……生憎、私が教えられることは少ない。正直、今この瞬間まで何をするか迷っていました」

「えっと、リュー……先生? それはどういう……?」

「私のことは師と敬わなくていい。私もまだ二十と少ししか生きていない若輩者です。大仰に指導できる器ではありません」


ぴしゃり、と言われて僕は口をつくんだ。
謙遜し過ぎているようにも思ったけど、生真面目なリューさんらしいとも感じた。


「続けます。私の結論は、私もクラネルさんも未熟ということでした。教えるのも教えられるのも、私達は慣れていない」


謙遜、という言葉を僕が持ち出したのは当然理由がある。
何せリューさんは確かな実力者だ。
彼女の口から直接聞いた。リューさんの【ステイタス】はLv.3。
現役の頃は、当時の第一級冒険者の規定ラインへもう少しで足を踏み入れようかというほどのつわもの。
つまり、Lv.4に限りなく近いLv.3。


「難しいことを考えても失敗します。なら答えは単純明快です――仕合います」


リューさんの空気が変わった。
長剣と同等のリーチを誇る木の柄を両手で持って、静かに構える。
突っ立っているだけだった僕の肌が、ぞっ、と敏感に反応した。
咄嗟に手に腰をやり《短刀》を構えてしまう。


「……なるほど、貴方になら余計な言葉は少なくて済みそうです」

「っ……!?」

「今反応した通り、これから始める模擬戦の中で私の“教え”を汲み取ってください。学んでください。糧にしてください。そして利用できるもの、全てを盗みなさい」


構えは右半身。
腰を下げ、柄を持つ手も低く置いた。
木棒の先端が僕の方を向き、気圧される。何の変哲もない、ただの木の筈なのに。


「……ぼ、僕の武器、刃を潰してなんかはっ……?」

「構いません。傷を負ったなら未熟な私に責がある。クラネルさんは全力で来てください」

「で、でもっ……」

「では、もしものことがあれば、店の同僚を叩き起して回復魔法の使える者を召喚しましょう。これなら問題はないでしょう」


も、問題はない……のか?
色々な意味で完璧に解決されていないように思えたけど、リューさんの鋭くなった瞳に「集中しろ」と見咎められたような気がして、慌ててそれまでの思考を投げ捨てた。
眼前のリューさんだけを見る。
張り詰めた空気がぴりぴりと耳の奥で鳴る。東の空はまだ明るくなってすらいない。
リューさんは微動だにしなかった。僕もまた動かない。
いや、僕の場合は動けない。
間合いを詰めるビジョンがことごとく八つ裂きにされる。踏み込んだ瞬間、僕の手持ちの射程と速度を上回る一撃が見舞われるだろうことは、確信に近かった。
汗ばむ手で握る短刀が、こんなに頼りなく思えた時があっただろうか。


「……まず一つわかりました。貴方には冒険者として見込みがあります。ですが、同時に“臆病”だ」

「っ!」

「これでも誉めています。ソロでダンジョンに挑戦しているという貴方の場合、臆病という言葉は何よりの称賛です。恥に思わなくていい」


しかし、と前置きを入れて、リューさんは静かに一歩踏み出した。


「理不尽な状況に追い込まれた時、貴方はその現実を打破することはできないでしょう」


――恐らく貴方は逃げ出すことしかできない。
確信のこめられた言葉が僕の頬を殴る。
かぁっと体の中心から熱くなる。羞恥か、痛憤か。多分、前者。

自分自身でさえもよくわからないのに、図星を指された気分。これ以上のない指摘。頭を一瞬過ったのは、背後から迫る猛牛の遠吠え。
そんなこと感じてる場合じゃないってのに、みじめな気分が込み上げてくる。
歯が震えそうになった。でも、意地でも押さえ込んだ。
短刀の柄を握る手に思いきり力を入れ、僕は双眼をつり上げる。
全身に喝を入れ、一歩、また一歩と歩み寄ってくるリューさんに――自分から突っ込んだ。


「うああぁああああああああっ!?」

「阿呆」


――吹っ飛んだ。
鮮烈な風切り音が耳に届いた瞬間、僕は真横に引っくり返る。地面と熱い抱擁。
横っ腹が、尋常なく、痛い。


「あっっ……がっ!?」

「今のは蛮勇ですらない。ただの無謀、絶対の禁止事項です」


律儀に説明してくれるリューさんの言葉も、碌に頭に入らなかった。
薙がれた。
とんでもないスピードで木棒が横一閃に走って、短刀を繰り出すべくガラ空きになっていた脇腹に、叩きこまれた。
僕の目に見えたのはぶれた斜線だけだった。しかもかろうじて。
知ってた。知っていた。
知って、いたけど……。
この人、滅茶苦茶“速い”……っ!?


「さぁ、立ってください」

「……っ!」


促されるまま、地面に手をついて緩慢な動きで立ち上がる。
呼吸が乱れている。腹で明滅する痛みに屈しそうなる。泣きたい。いやもう半分泣いている。
僕は唇に前歯を思いきり突き立てて、リューさんと再び対峙した。


「痛覚に慣れていませんか。ちょうどいい、耐性を身に付けてください」

「ギッ?!」

「同時に痛みに怯えないようにしてください。痛みから逃げるようになった瞬間、貴方は使い物にならなくなる」


刺突。
超速の突きが鳩尾を貫く。僕は勢いを殺せないままブッ飛んだ。
後頭部を強打。それ以上に呼吸が機能しない。
「立ってください」と無慈悲の言葉。僕は咽び返りそうになりながら、なんとか立ち上がる。


「間に合わなくていい。“防御”をしなさい。貴方になら、私の今の太刀は反応できる筈です」

「ぶっっ!?」

「これでは稽古にならない。貴方が反応し、動くことができたという事実が必要だ」

「げぐっ!?」

「それでいい」


初手の切り上げから、再び横薙ぎ。
最初は直撃を許して最後も直撃を許す。
ただ短刀を軌道上に構えられただけ。とっくのとうに木棒は短刀のあった場所を通り過ぎて僕を打ちのめした。横転する。
「立ってください」と感慨のない言葉。僕は鼻から血を噴出させる気概で立ち上がる。


「視野を広く持ちなさい。そして片時も目の前の敵から意識を逸らさないでください。ソロの貴方は絶対死角を作ってはいけない」

「っ!」

「お見事。ですが、言っている側から悪手です」

「フアっ!?」


やっと回避してやったと思ったら、追撃。
そっちは行き止まりだとばかりに膝を打ち据えられた。地面と今度は熱い接吻。
ちなみに、僕はしっかりと軽装を身に纏っている。その上で、このダメージ。
「立ってください」。魔法の言葉。僕は立ち上がる。


「今の貴方と私の差は何だと思いますか?」

「ステイタッずぅっ!?」

「それも勿論あります。ですがそれ以上に、技量と経験」

「ス、すギルっ!?」

「違います。言わば私の“自力”と貴方の“自力”です」

「!?」

「私の個人的見解ですが、冒険者は【ステイタス】に振り回されている者が多い」

「ふえっ!?」

「つまり神の恩恵に寄りかかり過ぎている。能力と技術は異なるものです」

「づぬ?!」

「第一級と呼ばれる冒険者達は全員がその力と見合った技術を持っています。【ステイタス】に使われるのではなく、掌握している。彼等がいるのはそういった“高み”です」

――ッッ!!」

「……いい眼だ」


振り下ろされた一撃を渾身の力で弾き返す。
リューさんは目を細めて、息絶え絶えになる僕を見つめた。
そしてすぐに一方的な被劇ヒゲキが再開される。


「まずはより洗練された戦い方を身に付けましょう。【ステイタス】の数値に囚われないでください。あくまで貴方の技術ちからは貴方のものだ」

「もし【ステイタス】を失っても、クラネルさんの中に残るもの。それを培ってやることしか私にはできない」

「一人で今日まで戦い抜いてきた貴方の力は、【ステイタス】も含め紛れもなく貴方の実力です。誇っていい。そして貴方が望むなら、器よりも芯よりの発展を」

「技巧を、挙動を、機転を、直感を、駆け引きを、閃きを」


喋っている間にもリューさんの熾烈な攻撃は続いた。
僕はもうビクッと中途半端に反応を示すだけのサンドバックに成り下がっている。
仮借のない木棒の乱れ撃ち。
いし、き、が……。


「立ちなさい。次」


「次」


「次」


「次」


「次」


「次」


「次」


「次……むっ、もう日が出ましたか。では、今日はここまでとします」


どごしゃ、と何かが倒れたような音。
気が付けば僕の体は地面に縫い付けられていた。
返事をする気力がない。
やけにリューさんの声が小さく聞こえる。


「どうやら貴方は防御に難があるようだ。当面は守備が課題です。今回の反省を次回に活かすようにしてください」


「それではクラネルさん、また」と言ってリューさんは去っていったようだった。足音が遠ざかっていく。
僕は顔を上げられなかった。ボロ雑巾になって冷たい地面の上に突っ伏している。全身、痛くないところがない。
思い出す。
いつかの路地裏。あの時リューさんが自分で言っていた「私はいつもやり過ぎてしまう」という言葉を。
やはり、あれは脅しでも誇張でも何でもなかったのだ。ていうかリューさん、自分がしたことに今はまだ気付いていないのか。
死んで、しまう。

少し前の僕に言ってやりたかった。全然羨ましい状況なんかじゃない、と。
エイナさんと、リューさん。
あっちもスパルタ。こっちもスパルタ。
受難、といってはあんまりだけど。
文武に渡って叩きこまれるエルフの苦行を、僕は今更ながら少し後悔することになった。
エルフに憧れるのも、程々にしておこう……。

その後、僕は可愛い悲鳴をあげるキャットピープルの女の子に回収された。
後日聞いた話によると、リューさんはシルさんと数名のスタッフからこっぴどくお叱りを受けたらしい。
……至らない弟子でゴメンナサイ。



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