2023.08.17
「……くん。……ル君っ」
声が、聞こえる。
真っ暗な意識の中で響く、耳に心地の良い綺麗な声。
むずむずと、暗闇に光が差していく。
「ベル君!」
次の瞬間、僕は目を覚ました。
「ぁ……か、神様?」
「ああ、そうだよ、ボクだ。どうしたんだい、テーブルの上に突っ伏したりなんかして? 寝るんならもっとマシなところで寝ればいいじゃないか」
すぐ近くにある神様の顔に、僕は寝ぼけ眼をごしごしとこすった。
顔を上げて周囲を見る。
ホームだ。下水道の隠し部屋。時間は……十九時。もう夜になっている。
僕はまだ完全に回り切ってない頭で、一つ一つ状況を確認していく。
「本を読んでたのかい? ははぁん……慣れないことをして、まんまと眠気に敗北を喫したってところかな?」
「え……あ、はい。……そう、なのかな?」
……寝てた?
テーブルにはシルさんから借りた本が開きっぱなしのまま。どうやら、これを下にして思いきり熟睡していたらしい。
読み終わってる……?
こめかみを押さえる。頭の中がかき回されたかのようにふら付いて、ちぐはぐだ。
おぼろげに残っているのはあやふやな記憶だった。まるで白昼夢に遭ったかのように現実味がない。
僕は誰かと話してた? 何かを尋ねられてた? それとも、この記憶の残りかすは全部夢?
駄目だ、混乱してる……。
「はは、可愛いね。ベル君のそんなお茶目な姿を見れて、おかげでボクの仕事疲れも吹っ飛んだよ」
「お、お茶目って……」
「ふふっ。さ、夕食にしよう」
あんまりな言い草にがっくりとしながら耳を赤くしていると、神様はご機嫌な笑顔を浮かべながらクローゼットへ向かった。
神様が着替え終わるまで下水道に出て、もういいよと扉から幼い顔が覗くと、改めて夕飯の準備に取りかかる。
先に帰っていたのに何も準備していなかったのが申し訳なかったけど、二人でキッチンに並ぶことを神様は頬を染めて嬉しがっていた。僕もつられて笑う。
「ベル君、あんな分厚い本をどうしたんだい? まさか君が買ってきたなんてことはないだろ?」
「そう断言されちゃうと悲しいですけど……ハイ、ちょっと知り合いの方に借りたんです」
「へぇ、後でボクにも見せてくれよ。あんな古めかしい本、あまりお目にかかったことはないんだ。食指が動く、ってね」
「本、大好きですもんね、神様」
慎ましい夕食の片付けを終えてからシャワーを交互に浴び、そして今日も僕の【ステイタス】更新をすることにした。ここ数日の更新頻度は高い。
神様もようやく【ヘファイストス・ファミリア】支店のお勤めに慣れてきたようで、時間を割けるくらいには余裕が出てきたらしい。
僕は半裸になって神様のベッドを拝借した。
「ん~……んん? ……むう!」
「か、神様……僕の熟練度の伸び、変わりませんか?」
「……ああ、変わらないよ。絶好調、と言わんばかりの伸び方さっ」
難しい声音を出してる神様に僕が恐る恐る尋ねると、不機嫌な返事が僕の後頭部に落とされた。
まだ怒ってる……。いや、“また”なのかな?
この頃【ステイタス】を更新する度にこんな感じのような……。
「ああそうだよね、君は頑固だものねっ。そうさ、知ってたさ、あのくらいで君が心変わりするわけないってっ」
返答に窮しちゃう愚痴をぶつぶつと神様が呟く。
僕はどうすることもできず、居心地の悪い空間を黙って甘んじることしかできなかった。
背中が何だか、チクッ、チクッ、って針で故意に刺されているような気がする。
って、ちょ、いたっ、痛い!?
「神様、痛いですっ!? 絶対わざとですよね!?」
「ふーんだっ」
「ふーん、じゃないですよぉ!?」
僕が泣き叫んで訴えると、神様は口応えするなというように僕の頭に針を見舞う。グサリ。
僕は枕を涙で濡らすことでしか、神様に反抗することができなかった。ううっ、寝心地悪くしてやる……。
「……ま、『耐久』とか除くと、どの基本アビリティもそろそろSに近くなってきてるから、流石に今まで通りというわけではないけど」
「グスン……そうなんですか?」
「ああ。まぁ、これでも破格なんだろうけどね……」
諦めたように溜息をつく神様。何で溜息をつかれるんだろう……。
基本アビリティの最高ランクはS。上限が迫るにつれ熟練度の上昇値も大幅に落ちる。時には何十体のモンスターを倒しても、1も上がらない場合もあるみたい。
今も熟練度が伸びているということは、成長効率が下がったというより、むしろ変化を来たさず順調ということなんだろう。
諸手を上げて喜ぶべきなんだろうけど……こう周りと比べて考えてみると、何だか自分のことながら不気味に思えてきた。
「…………」
「……? 神様?」
口も手も止まった神様を僕は怪訝に思った。
呼びかけて、しばらく待っていると……。
「……魔法」
「え?」
「魔法が、発現した」
とんでもない答えが返ってきた。
「えええええええええええええっ!?」
「へぶにゅ!?」
腹の底から仰天した。
衝撃的な内容に、僕は上半身を海老反りのように起き上らせる。
伴って、僕の腰に乗っかっていった神様はブォンと投げ出され、ベッドから墜落する。後頭部がフローリングの床にヘッドバット。
って、ああ!?
「かっ、神様ぁー!? ご、ごめんなさいっ、怪我ないですか!?」
「ま、まさかこんな形で報復されるなんて……や、やるじゃあないか、ベル君……」
ベッドの下で無残にもんどり打った体勢の神様は、涙目でぷるぷる震えていた。
て、ていうか……胸が重力に逆らっている……!? って、そうじゃないだろ僕!?
形の崩れない神様の
僕が【ステイタス】の詳細を知るのはかなり後のことだった。
ベル・クラネル
Lv.0
力:B 53(↑51 耐久:D 87(↑86 器用:B 69(↑45 敏捷:A 17(↑28 魔力:I 0
魔法
【ファイアボルト】
・速攻魔法
スキル
【】
短刀:B 29(↑64
「っっ……!!」
声を抑え込むのに本当に苦労をした。
神様に手渡された用紙を震える両手で持ちながら、必死に口の中で暴れる歓喜を噛み殺す。
瞳が爛々と輝き、口元がにやけているのが見なくてもわかった。
「魔法まで発現しちゃうなんて……いや【ステイタス】の状態からすればやっと発現したってことに……? うーん、わからない」
僕とは違って眉根を寄せる神様は、顎に手を当てて考え込んでいる。
背中と僕の顔を交互に見つめてくるけど、気にもならなかった。
「かっ、神様……魔法っ、魔法ですよ……!? 僕、魔法を使えるようになりました……っ!」
「うん、わかってる。おめでとう、ベル君」
僕は手放しで喜んでいた。
感激が身を焦がす。体中が熱い。
目から涙を流してしまいそうなくらい、僕は感動に打ち震えた。
「……大げさ、って言うのは野暮ってものかな」
ぐしゃっと紙を握り潰してその場で蹲る僕の側で、神様の苦笑を浮かべた気配がする。
嬉しい。本当に嬉しい。
僕もやっと魔法が使えるようになった。
あの魔法! 本の中の英雄達が切り札と言わんばかりに操っていた、あの魔法を!
「水を差すようで悪いけど、早速この魔法について考察しよう。気になることがあるんだ」
「はいっっ!」
僕は立ち上がって大きく叫んだ。
落ちつけと自分自身に言い聞かせる。浮かれっぱなしでどうするんだ。
深呼吸をして、僕は昂った全身を静めた。
「いいかい? 掻い摘んで話すけど、魔法っていうのはどれも『詠唱』を経てから発動させるものなんだ。これくらいは知ってるかな?」
神様の問いにこくりと頷く。
全ての魔法はそれぞれ固定された呪文を術者の口が紡ぎ出すことによって効果を発揮する。
わかりやすく言うと、『詠唱』という魔法の制作過程で砲身を作り上げ、それが完成した時はじめて砲弾が装填される。
こう考えれば、作り上げられる砲身の規模が大きいほど、つまり『詠唱』の時間が長いほど、炸裂する砲弾も大型となり威力も増すというわけだ。
逆に砲身の規模が小さければ威力は低くなるということだけど、それは『詠唱』の時間が短いということだから、すぐに発動できるという利便性がある。
一長一短というやつだ。
「本題に入るね。ボクの友人に聞いた話だと、魔法の詠唱文は発現した際【ステイタス】の魔法スロットに表示されるんだ。それを見て、君達は魔法のトリガーを得ることになる」
「え……でもこの用紙には『詠唱』が記載されてないですけど……」
「そう、それなんだ。おっと、ボクが書き忘れたなんて勘繰らないでくれよ?」
クシャクシャに丸まった用紙を広げて、穴があくほど見る。
【ファイアボルト】と書かれた魔法スロットには『詠唱』らしき唱文の綴りは存在しない。
これでは魔法の足掛かりにもならない。
僕が首を捻っていると、神様が自分の意見を口にした。
「ここからはボクの完全な推測だ。スロットに補足されてるこの詳細情報、この文面からするとベル君の魔法は……詠唱が必要ないのかもしれない」
「……」
僕は動きを止めて、それからもう一度用紙を食い入るように見つめた。
詠唱文は一切表示されていなくて、唯一の情報が『速攻魔法』という僅かな説明のみ。
……神様の読みが的中しているように僕も感じるようになった。というか、それ以外の可能性が思い浮かばない。
「威力のほどはわからないけど、詠唱のノータイム……速攻魔法。それで間違ってないとボクは思う」
「じゃ、じゃあ、この【ファイアボ――むぐっ」
神様の柔らかい両手が僕の口を塞いだ。
背伸びをした神様は僕を見上げてくる。
「……迂闊に魔法の名前を言わない方がいい」
「むぐぅっ?」
「何がトリガーになっているかわからないけど、最悪君が【ファイアボルト】と発音しただけで、魔法が発動することになるかもしれない」
さぁっ、と顔が青くなった。
どんな効果かはまだわからないけど、こんなところで魔法が発動したら、僕達のホームは粉々に吹き飛ぶかもしれない。
「いいかい?」と確認してくる神様に僕は勢いよく頷いた。口が解放される。
「結局推測だから、何が正しいかなんて当てにならないけど……明日ダンジョンで試し撃ちでもしてくるといい。それで君だけの魔法の正体がはっきりする筈さ」
「えっ、明日……?」
「おいおい、今からダンジョンへ行く気かい? シャワーも浴びちゃっただろう? 慌てなくても、君の魔法は逃げたりなんかしないぜ?」
「あ、はい……そうですね」
苦笑を向けてくる神様に僕はぎこちなく頷いた。
もう夜遅い。神様の言っていることはもっともだろう。
欠伸を手で押さえる神様は仕事の疲れがピークに達しているようで、すぐに就寝することになった。
歯磨きを済ませぴょんとベッドに飛び込む神様を見て、消灯。
僕もソファーに寝転がって眠りに落ちた……
(ごめんなさい、神様)
……なんて、できる筈がなくて。
目は冴えきっている。こんな状態で眠れるわけがない。
ソファーから跳ね起きる。
神様の小さな寝息を確認しながら、起こさないように苦心して、装備一式の詰まったバックパックを背負い部屋を出た。
ぱぱっと防具を身につけ、バックパックは下水道の梯子下に放置。地上へ出る。
(使ってみたい、今すぐ!)
月と星に見下ろされながらメインストリートを駆け抜ける。雲は一つとしてなかった。
路辺の店の窓から漏れる灯りが、僕の火照った顔を照らし出す。酔っぱらった亜人達の騒ぐ声々でリズムを取るかのように、僕の足は弾んだタップを踏んだ。
オラリオはまだ眠らない。僕もまだ、眠れない。
前方で白い巨塔が大きくなってくる。
僕は笑みを滲ませて速度を上げた。
バベルの一階に飛び込んで真っ直ぐ地下へ。
ぽっかりと床に空いたダンジョンへと繋がる大穴。僕は取り付けられている螺旋階段を無視して、穴の中央へ飛び込んだ。
空気を裂いて、ダンッと着地。足に伝わる振動も涙目になってしまうほど心地がいい。
僕はダンジョン1階層を出発した。
「……!」
ざっ、と足を止める。
幅の広い一本道。視界の真ん中でぽつんと揺れる、身長の低いずんぐりとした緑の影。
ゴブリン。
(この、条件なら……)
的の数や大きさといい、間合いといい、申し分ない。
僕は大きく唾を嚥下した。汗で湿る掌をインナーになする。
相手のゴブリンもこっちに気付いた。目付きを鋭く構え、唸り声を上げながらドタドタと走ってくる。
僕は、グー、パー、と手の開閉を繰り返して、腕をゴブリンに真っ直ぐに突き出した。
「ギギャアアアアアアアアア!」
「……」
心臓の音が鼓膜にはりついている。
溜まりに溜まった緊張と不安と期待が、いっぺんに僕の肩にのしかかった。
浅く、吐息。
眉尾を限界まで吊り上げ、咆哮する。
「【ファイアボルト】!」
緋色の光が、視界を埋め尽くした。
「ッッ!?」
駆け抜けたのは緋色の雷。
いや違う、“稲妻状の炎”。
鋭角的かつ不規則な線条を描くジグザグの炎が、ゴブリンの体を貫く。
僕の目が追えたのはそこまで。
炎の雷がモンスターに着弾した瞬間、眩い爆光が炸裂する。オレンジ色の華が咲いた。
「……ァ」
全身を黒焦げにし、至る皮膚から煙を立ち昇らせるゴブリンは、白目を剥いて床に倒れ込んだ。
最後に残した掠れた呻き声が、通路に残響する。
「……うそ」
出た。本当に。
僕の魔法が。
呆然と立ち尽くしていた僕は、腕を伸ばしていた体勢を止めてまじまじと掌を見つめた。
線の細い手。いくつもできたマメが明らかにその中で浮いている。
普段と変わらない僕の手だ。何も変わらない。
でも、出たんだ。
この手から、魔法が。
「……は、ははっ」
認めてしまえばあっけなかった。
全身が発熱する。僕は開いていた掌をぎゅっと握り、拳を作った。
(よしッ……!)
確かな手応え。確かな前進。
【ステイタス】とは異なる目に見えた大きな変化な現れに、僕はあの人へ一歩近付けた確かな実感を得た。
ファイアボルト。炎の雷。
発動は一瞬、速度は神速、火力は絶大。
“誰よりも速い”、“炎の魔法”。
僕だけの魔法。
「~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~っっ!!」
喜びの感情が氾濫する。僕は唇を噛んで何度も一人でガッツポーズをした。何てイタイ。でも関係ない。
僕は顔を赤らめ興奮した。
馬鹿みたいに、そう、ギルドへ冒険者登録したあの時のように、瞳を輝かせた。
一頻り感情の最高潮を味わった僕は“調子に乗った”。
次なる獲物を探し、その場から駆け出したのだ。
「ファイアボルト!」
「ギャアアアアアアアアアアアアア!?」
モンスターを見つけては腕を突き出し。
「ファイアボルトッ!!」
「エブシッ?!」
子供のように大声で叫んで。
「ファイアボルトオオオオオオオッ!!」
「プギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!?」
即見即爆。
「ファイアボルト!」「ファイアボルト!」「ファイアボルト!」「ファイアボルト!」「ファイアボルト!」「ファイアボルト!」「ファイアボルト!」「ファイアボルト!」「ファイアボルト!」「ファイアボルト!」
「「「「「「「「「「チョッ!?」」」」」」」」」」
豪快な花火を、狂ったように乱れ撃ちした。
「あ、5階層まで来ちゃった……」
てへへ、とご満悦に笑いながら周囲をきょろきょろと見回す。
薄青色から薄緑色に変色した壁は間違いなく4階層を越えたことを示していた。
夢中になり過ぎた、と言葉だけの反省をして僕はその場でターンする。
そろそろ帰ろうと鼻唄まじりに歩を進め、
「……ぅ、ん?」
――そして、最初の違和感に襲われた。
グラリ、と視界から音が鳴る。
「ぇ……?」
それは突然訪れた。
お酒なんて飲んだことないけど、多分、酩酊感っていうのはこんな感じ。
足がおぼつかない。地面を踏んでいるのかさえわからない。
視界がグラグラと頼りなく揺れた後、僕は迫ってくる地面を最後に見て、あっさりと意識を手放した。