2023.05.25
「ちょっと遅くなっちゃったな……」
空が茜色に染まっている。もうすっかり夕暮れ時だ。
買物を終えた僕は、エイナさんを送って帰路についていた。
メインストリートから外れ、いくつもの小径が入り組んだ裏道へと入る。
駆け足になる足が地面を蹴る度に、膨らんだバックパックをガシャガシャと鳴らした。
(エイナさんにあんなドキドキしちゃうなんて……僕って実は浮気性?)
頭の中のヴァレンシュタインさんが非難がましく僕を見てる。勿論妄想だけど。
自分に移り気があるなんて信じたくないなぁ……って、僕ちょっと前まではハーレムがどうたらとか言ってたじゃん。
アハハハ、とちょっと壊れた笑い声を出しながら現実逃避をする。
僕はヴァレンシュタインさん一筋なんだヴァレンシュタインさん一筋なんだ……
「……足音?」
立ち止まる。
裏路地の奥から、僕以外のバタバタと何かが駆ける音が響いている。
一人……いや二人。小さいのと大きいの、靴音の大小がはっきりしているために察することができた。
だんだん近付いてくる。
「どこから……?」
メインストリートは外れたばっか。来た道を振り返れば人の行き来がはっきりと見える位置。
僕達のホームの近くで面倒事が起きているんだったら不味い。
ちょっと不安に流されながら、僕はいつも曲がる道をまず覗きこもうとする。
「あうっ!」
「えっ?」
出し抜けに、一つの影が僕の前をべちゃっと転がった。
足に何かがぶつかった感触。どうやら、曲がり角から身を乗り出した僕の足にその影が引っかかってしまったらしい。
上がったか細い悲鳴に僕は慌てて近寄ってみると……
(……パルゥム?)
神様より低い身長に、触れれば折れてしまいそうな細い手足。
一つ一つのパーツが小さい。耳は尖り気味だ。
特徴的な外見を持つその異種族に僕はすぐ気付いた。あの食べたり踊ったり、騒いだりすることが大好きな亜人だ。
「すいません、大丈夫ですか!?」
「ぅ……っ」
もぞりと動いてその小さな体が起き上る。
女の子だ。ダークブラウンのぼさぼさの髪がうなじを隠している。
容貌はいじらしい。何もかも小振りな顔立ちの中で、その大きく円らな瞳が印象を際立たせていた。
「追い付いたぞ、この糞パルゥムがっ!!」
僕が手を貸そうとしたその時、路地の奥から一人のヒューマンが現れた。
ほとばしった怒声がパルゥムの少女を可哀相なくらい怯えさせた。びくっ、と大きく震えて顔を歪めている。
目をギラギラと光らせているその男はどうやら冒険者のようだ。
二十くらい? 比較的大きな剣を背中に差していて、僕よりガタイがいい。
「もう逃がさねえからな……ッ!」
はぁ、はぁ、と息を切らす青年は悪鬼のごとき表情をしていた。
直接向けられていない僕も思わず仰け反ってしまうくらい。普通に怖い。
――この人、パルゥムの子に一体何をする気なんだろう?
そんなことを考えたら、僕の体は勝手に動いていた。
少女の体を隠すように、青年の進路に立ち塞がる。
「……あぁ? ガキ、邪魔だ、そこをどきやがれ」
男の目は今の今までその少女しか映しておらず、ここで初めて僕のことに気付いたようだった。
頬がひくつく。モンスターはいくら倒せても、こういうのにはちっとも慣れていない。
僕はその形相の迫力に押されながらも、必死に足を縫い止める。
「あ、あの……今からこの子に、何する気ですか……?」
「うるせえぞガキッ!! 今すぐ消え失せねえと、後ろのそいつごと叩っ斬るぞ!」
――あ、ダメだ、どけない。
僕は涙目になりながら覚悟した。事情は知らないけど、この人は間違いなく、後ろの女の子に酷いことをする。
背負っているバックパックを下ろして裏路地の隅に寄せた。僕の行動にその冒険者は勿論、斜め後ろにいるパルゥムの少女も驚きをあらわにする。
瞠目していた男は、すぐにカァッと赤なった。
「ガキ……! マジで殺されてえのか……!!」
「そ、その、い、一回落ち着いた方がっ……!?」
「黙れっ、何なんだよテメエは!? そのチビの仲間なのかっ!」
「しょ、初対面ですっ」
「じゃあ何でそいつを庇ってんだ!?」
「……ぉ、女の子だからっ?」
「なに言ってんだよテメエッ……!」
本当に、何を言っているんだろう……。
でもしょうがないと思う。実際どうしようもなく、それだけが理由だから。
男だったら、普通にそうでしょ? 女の子が襲われてたら、普通に助けるでしょ?
理由を探す方が無茶ってもんだよ……!?
「いい、まずはテメエからブッ殺す……!」
男が手を後ろにやって剣を抜いた。
本物の殺気にビクッと体が揺れて、反射的に僕も《神様のナイフ》を構えた。
はっ、と息を呑む音。見れば、パルゥムの少女が目を剥いて僕を注視していた。いや、見ているのは……神様のナイフ?
男の方もこちらの構えに一旦は驚いたようだけど、すぐに双眼に力を入れ直して睨みつけてくる。
――まずい。
初めての対人戦……足が震えてくる。戦えるの、こんなんで?
初めて触れる人の殺気は僕を盛大に緊張させた。汗が吹き出してきて、唾を何度も飲み込んでしまう。
カッコ悪いほど怖じけついている僕の姿に、男は獰猛な笑みを浮かべた。目の前の相手が取るに足らない存在だと悟ったのだろう。
男が堂々と一歩間合いを詰めてくる。僕は後ろに下がりたい衝動を噛み殺して、必死に堪えた。
やられるイメージしか湧かない。でも、退けない。
僕は、有りっ丈の力を振り絞って瞳をつり上げた。
次の瞬間、男が一気に飛びかかってくる。
「止めなさい」
けれど、男の剣が僕に振り下ろされることはなかった。
芯のこもった鋭い声が場に割って入ったのだ。
弾かれるようにそちらへ振り向くと、僕達の目に映ったのは、大きな紙袋を片手に抱えたエルフだった。
エイナさんと似た整い過ぎている顔立ち。彼女と違うのはその耳がより鋭角的な線を描いているということ。
空色をしたアーモンド形の瞳が、青年の冒険者を真っ直ぐ貫いている。
えっと、確か……『豊饒の女主人』のスタッフの、リューさん?
「次から次へと……!? 今度は何だァ!?」
「貴方が危害を加えようとしているその人……彼は、私の大切な同僚の伴侶となる人です。手を出すのは許しません」
彼女は何を言っているンダ。
「どいつもこいつも、わけのわからねえことをっ……! ブッ殺されてえのかあッ、ああ!?」
「吠えるな」
――しんっ、と空気が凍る。
大声を散らしていた男が言葉を呑み込んだ。
目を細めたリューさんが途轍もない威圧を放ってきてる。目に見えて彼は狼狽した。
そういう僕も言葉を失ってしまった口だ。
「っ……!? ……!?」
「手荒なことはしたくありません。私はいつも“やり過ぎて”しまう」
メインストリートの方角から伸びてくる夕日を背負って、リューさんは淡々と喋った。
多分、きっと、事実。そう思えるだけの真実味が、彼女のたたずまいからひしひしと感じられる。
冒険者の青年は口をぱくぱくと動かすだけだ。
間を置かず、リューさんは空いた手にジャキッと小太刀を装備した。
み、見えなかった……。
「く、くそがぁ!?」
「…………」
「大丈夫でしたか?」
戦わずして冒険者を追っ払ってしまった目の前の女性に、少しの畏怖を覚えてしまった。
顎の下に溜まった汗を拭う。先程の冒険者と睨み合っていたせいなのか、それとも彼女の気に当てられたせいなのか、判別がつかない。
リューさん、もしかして冒険者とか……?
「あ、ありがとうございます、助かりました……」
「いえ、こちらこそ差し出がましい真似を。貴方ならきっと何とかしてしまったでしょう」
「いや、そんなことは……」
凄いビビってた。悪い想像しか浮かばないほど。
僕は頬をかいて視線を横に逸らす。
「リュ、リューさんはどうしてここに?」
「夜の営業に向けて買い出しをしていました。昼間とは違って冒険者達が押し寄せてくるので、準備をしておかないと大変なことになりますので。その途中で貴方を見かけてしまい、つい」
なるほどと納得する。『豊饒の女主人』は人気の酒場みたいだから、生半可だと食材もお酒もすぐに底がついてしまうのだろう。
それにしても『つい』って……正義感が強い人なのかな?
「貴方は?」
「あっ、そうだ、あの子……あれ?」
周囲を見回したが、先程までいたパルゥムの女の子は忽然と姿を消していた。
「誰かいたのですか?」
「え、ええ。その筈なんですけど……」
怖くなって逃げ出しちゃった、のかな。
しょうがないと言えば、しょうがないのか。僕も普通に怖かったし。
何だか気になるけど……。
「では、私はこれで」
「はい。本当に、ありがとうございました」
僕とリューさんは互いにお辞儀をして、その場を別れた。
「よし……」
装備を一新したベルは姿見で自分の姿を確認した。
昨日購入した鉄色のライトアーマーは、下に着こんだ黒のインナーとパンツと相まってよく映えていた。
鎧そのものの自重はまるで感じられず、動きに支障をきたすことは皆無だ。
左手には輝きを放つプロテクターが装備されている。
ベルは微笑みながら、エイナからもらったそのエメラルド色の防具の表面をそっと撫でた。
「神様、じゃあ行ってきますねー!」
「う~ん、いってらっしゃぁ~い……」
疲労からベッドに沈んでいる己の主神に苦笑しながら、ベルは出入り口に向かった。もうバイトの件については説得を諦めている。
最後にもう一度だけ鏡を見た。間に合わせの貧層な支給品から一転した装備状況。やっと冒険者“らしく”なってきたのではないか、と少し悦に浸る。
《短刀》と《ヘスティア・ナイフ》を腰に備えて完全装備、隠し部屋を出た。
(いい天気……)
地面の鉄扉を開けた途端に広がった空は晴れ渡っていた。
今日もいいことあるんじゃないかと、青空に口元を緩めながらベルはそんなことを思う。
裏道を経由してメインストリート、そしてセントラルパーク。
冒険者達の波に乗ってベルはバベルまでやって来た。
(今日も……)
頑張ろうと、金髪金眼の少女を胸に思い浮かべながら呟こうとしたベルだったが、
「お兄さん、お兄さん。白い髪のお兄さん」
自分と思しき者を呼ぶ声に、行動を中断された。
「えっ?」
声のした方向に振り向く。
しかし自分に近付いて追い抜いていく冒険者達が視界を過るだけで、声の人物らしき者はいない。
「シシシシッ。お兄さん、下、下ですよっ」
耳朶をくすぐるような笑い声と細い言葉に従って顎を引くと、いた。
身長およそ100cm。クリーム色の外套を身につけ、深くかぶったフードからダークブラウンの前髪がばらばらとはみ出ている。
その小さな体よりひと回りもふた回りも、いやもっとそれ以上に大きい、思わずぎょっとするようなバックパックを背負っていた。
少女は、パルゥムだった。
「き、君はっ……」
「“初めまして”、お兄さん。突然ですが、サポーターなんか探していたりしていませんか?」
ベルの声を遮って、パルゥムの少女はその赤ん坊のような人差し指をベルの背へ向けた。
示す方向にあるのはベルのバックパック。
ソロと思われる冒険者がバックパックを装備している光景を見れば、その心中を察するのは容易だ。
『サポーターがいてくれたらなぁ』、と。
故に、パルゥムの少女は半ば確信してベルに尋ねたのだ。
サポーターはいりませんか? と。
「え……ええっ?」
「シシシシッ。混乱してるんですか? でも今の状況は簡単ですよ? 冒険者さんのお零れにあずかりたい貧乏なサポーターが、自分を売り込みに来ているのです」
目を丸くするベルとは逆に、パルゥムの少女はお日様のようににこっと笑ってみせた。
「そ、そうじゃなくて……君、昨日の……?」
「?? お兄さん、リリと会ったことがあるんですか? リリは覚えていないのですが」
首を可愛らしく傾げる少女に、ベルもつられて首を傾げそうになった。
周囲の冒険者達の「往来で何やっているんだこいつ等は」という傍迷惑そうな視線が寄せられる。
「あれぇ?」
「それでお兄さん、どうですか、サポーターはいりませんか?」
「ええっと……で、できるなら、欲しいかな……?」
「本当ですかっ! なら、リリを連れていってくれませんか、お兄さん!」
パルゥムの少女は無邪気にはしゃぎ、そしてフードと前髪の中に隠れている円らな瞳があらわになった。
大きな瞳は、ベルの腰に差さっているナイフに釘付けになっている。
「まぁ、それはいいんだけど、うーん……?」
「あっ、名前ですか? 失敬、リリは自己紹介もしていませんでした」
パルゥムの少女は朗らかに笑い、ベルの目を見上げた。
「シシシシッ。リリの名前はリリルカ・アーデです。お兄さんの名前は何て言うんですか?」
ベルの瞳の中に映る少女の瞳は、少し妖しく輝いていた。